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福島原発事故14年目③ 特集の補足と新連載 福島原発事故の放射能加害と命の救済(24年3月20日号)

特集①「①向き合うべき戦時状況と健康被害」はこちら 
特集② 三田茂医師に聞く 人体の基本構造「恒常性」の破壊 はこちら

「危険の事実」と「避難の原則」

本紙3月5日号の3・11特集は、私も本紙も久々に被曝問題などの全体像を扱ったため、内容が圧縮されすぎて不明点がある、「戦時下/ジェノサイド/避難」に違和感もあると聞いた。
そこでこの3月20日号8面では、まず前号特集を補足する事から、被曝問題を中心に新連載をする。情勢や当事者の声から、「放射能加害」と呼ぶべき実態と対抗を究明する。(編集部・園良太)


2014年。世間から安倍首相にまで猛攻撃され、休止→長期休載に追い込まれた(今も休載中)。

新語「風評加害」

国は事故後、福島の生産者らの苦悩を取り上げ、「風評被害のせい」と言ってきた。だが汚染水放出以降、高まる批判に対し「風評加害」という新語を作り、「放射能の危険視は罰するべき加害行為だ」と攻撃を強めている(例…「風評加害には社会的責任を―福島原発ルポ漫画『いちえふ』作者に聞く」/産経新聞3月12日)。
 人々はこれまで「風評ではなく実害だ」と反論してきた。だが「風評加害」は、加害者の国が被害者ヅラして攻撃する事で、真に何も言わせなくする事だ。
 こんな時は人々も、新たに踏み込んだ言説が必要になる。私は、放射能による健康被害を明らかにするだけでなく、国の「放射能加害/健康加害」だと言い換え、対抗したい。被害解明と責任者を名指す事が同時に必要だ。

避難者も抹消する

公害被害の体現者である原発避難者への国の攻撃も、総仕上げにある。福島県が、避難者住宅から住民を追い出す裁判をかけた件で、4月8日までに追い出す通知をした。自分が提訴した判決を待たずに強制執行する暴挙だ。こちらからぜひ詳細や反対署名を。

また大阪府も、関東からの避難者を避難者住宅から追い出す裁判にかけ、5月に判決を迎える。末期がんの当事者に対し、ケースワーカーが住宅から出ていかなければ生活保護を打ち切るぞと恫喝し、あらゆる罵声を浴びせたこれも暴挙の極みだ。こちらからぜひ、詳細や公正判決を求める署名を。 

こうした異常な攻撃も「風評加害」と同じく、国が事故を隠蔽する衝動の強さと、それだけ事故被害が巨大であることを表している。これらは今後、連載で詳報する。

人文社会科学と自然科学を横断し
事実と原則を主張すること

福島原発事故は、原発の状況や放射能被害の真実などの自然科学と、前述のような言葉や政策を分析し批判する人文社会科学の領域にまたがっている。双方を横断し、総力で当たらねば解決できない問題だ。
 だから前号も、避難者の私が言葉や政治社会についてまとめ、東京から岡山に避難し被曝被害を治療し研究する三田医師に、その全体像を聞いた。

 だが私も含めこれまでは、事故の未知な巨大さと、学問や運動のタコ壺化ゆえに出遅れてきた。領域を横断して総力で当たったのは、国側だった。
 それは住民を帰還させ、私達を放射能と共存させる言説、政策、ニセ科学だ。チェルノブイリ事故後に世界の原子力勢力が研究した、「原発事故は起きる。その前提で事故後にどう隠し、被害に慣れさせ、責任逃れするか」という戦略の発動だ。それは、日本でほぼ成功したと言わざるをえない。


 前号ではそれを根底から覆す事を始めたかった。だから扱ったのは隠された「事実」と「原則論」だ。
 まず、「放射能は危険すぎ。大騒ぎして当然」。原発爆発は大報道され、東京の金町浄水場の水道水からも放射能が検出。被害の広さに恐怖が走った。
 次に、「健康被害は確実に出て、悪化し続ける」。
 そして、「放射能からは離れる」。東京入管には出国を求める外国人の大行列ができ、東京駅の東海道新幹線にも子連れで避難する大行列ができた。
 編集部で前号を振り返り、初期の事態を思い出す事が良いと意見が出た。

 この13年間、私達の中で事実はうやむやになり、原則論は躊躇するようになっていた。「大騒ぎする程でないのでは」「したら自分も周りも傷つくのでは」。「老人や生産者にはそこしかない」「避難できない人もいる」「できる人は恵まれている(園…これは明確に違う)」など。

 これは事実や原則というより、ある状態や通念を指しており、加害者側が作り出し強いているものだろう。前号が極論に見えるとしたら、事実と原則より、国に諦め・無関心・同調圧力を強いられてきたからだ。緊急事態宣言と共に、それも戦中の日本社会と似た、終わらせるべき「戦時下」だ。

国による「放置型のジェノサイド」

放射能を可視化する「あかいつぶつぶの絵」。柚木ミサトさん作。事故後の反原発デモでは多くの人々がプラカードにした。

次に、「ジェノサイド」という状況表現を補足する。確かに今のパレスチナ等と違い、目に見える爆弾の猛爆撃がされている訳ではない。だが見えにくい放射能は延々出て、病者も死者も激増している(事故後の著名人の突然死の多さよ。93年にアナウンサー逸見正孝が40代後半で末期がんを公表した時は、珍しすぎて大騒ぎになった。今これだけ多いのは原発事故の影響以外ありえず、慣らされてはいけない)。

これを、「降り注ぐ爆弾で大勢が死傷している」と言ってもけして誇張ではない。集団全体が破壊されている点からも、ジェノサイドだ。

 国は実害を分かった上で何もしないので、「放置型ジェノサイド」と言った方が適切だ。
緩行性の猛毒サリンを東日本にばらまいて逃げ去り、防護して見物している、または戦場から逃がさず集団自決を強いているようなものだ。

だが、これもまだ最適ではない。より良い言葉がいくつも、皆の力で必要だ。

三田医師の「『高感度体質者』における『放射能敏感症』」


そして3・11前に「反原発・被曝の転換を」としたのは、「福島」と範囲を限定せず、未来の事故を強調する前に、既に進む空前の事故と被曝加害を共に直視したいからだ。
 三田氏は3月11日、前号で話された内容などを、「『高感度体質者』における『放射能敏感症』」と発表した。映像をぜひ観てほしい。
 これを題名だけ読むと、「自分はその体質者じゃないから大丈夫」と思う人がいると思う。だがそれは危険だ。
 三田氏は、「症状が出やすい人は、危険を避ける行動をするため、重大な健康被害を回避できる可能性が高まる」と述べる。
 つまり裏を返せば、今までは無/軽症状で済み、対策してなかった人ほど被曝の爆弾が直撃し、若くしてガンなど晩発性の大病になる危険がある。それが日々高まっている。

 大病になると避難もできず、親より先に死ぬ=殺される。私はそんな友人の葬式に出てきた。無念と呆然の空間だ。もう誰も殺させたくない。共に「当事者」として声を上げ、運動で主題にしよう。(次号に続く)

「生」の覚醒を

 「…日本社会の破局は、緩慢に、時間をかけて、だらだらと進行していきます。これから私たちは、多くの人の死を見ることになります。放射線被曝によって、同志や友人や肉親が斃れていく姿を見ることになります。
…緩慢に進行する破局のプロセスの中で、私たちは死を意識し、生を意識することになります。このことは避けられない。私たちは否も応もなく、人間の死生を見つめることになる。無邪気に無頓着に生きるという態度は、しだいに失われていきます。生が意識され、生の時間が意識されるようになります。そうして、人権の思想はラディカルな(根本的な)次元に回帰し、鍛えなおされます。行政的に管理されていたもろもろの生が、覚醒し、それぞれの生が自らの意義と課題を再定義していく。たんに生かされているというのではない、それぞれの決意をもって生きようとする人々が、登場する。

 命が大事。命どぅ宝。こう書くと、まったくかわりばえのしない退屈な表現に見えるかもしれません。保守的で、防衛的な標語である、と。それは違います。〝命が大事〟という合言葉は、いまもっともラディカルに、非妥協的に、国家制度に肉迫する転覆の思想となっているのです。これは闘いの思想です。攻勢的に声をかけあっていきましょう。〝命が大事〟と。」(矢部史郎/本紙17年3月15日号『放射線被曝を強要する「復興」ラディカルな次元に回帰する「人権」』より。


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