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「原発事故が奪った未来を返してほしい」若者6名が決起『子ども甲状腺ガン裁判』始まる

「避難の協同センター」世話人 松本 徳子

「自分たちはなぜ、こんな病気で苦しまなければならないのか?」──今年1月、17~28歳の男女6人が、東京電力を訴えました。長い逡巡の末でした。
 彼(女)らは、多感な時期に福島原発事故に遭い、後に甲状腺がんが見つかり、手術を受けました。さらに、がんが肺へ転移するなど、深刻な苦しみも抱えてきました。
 しかし、被ばくを話題にすれば「風評被害が広がる。〝復興〟の努力に水をさすのか」と非難される。がんと原発事故との関連を口にすれば、「福島のマイナスイメージを広げる」と怒られる──それが、事故から11年後の福島の空気感です。
 それでも、事故の責任を認めない国や東電は許せない。「甲状腺がんと放射線被ばくとの因果関係を認めさせ、医療を保障させたい」との思いから、提訴に踏み切りました。
 当時、県内在住の18歳以下だった若者300人が甲状腺がんを発症しています。100万人に1~2人とされていた小児甲状腺がんですが、福島県民健康調査検討委員会は、「あくまでもスクリーニング効果(不必要に検査を広げ、無症状の患者も発見された)であって、原発事故との因果関係は考え難い」との見解を変えません。しかしがんが多発し、手術に至る事態となっているのですから、原発事故とは無関係と言えるはずもありません。
 5月26日、東京地裁で第1回口頭弁論が行われました。地裁前には、傍聴券を求めて226人が並びました。原告と同世代の若者たちもいて、子を持つ親として胸が熱くなりました。傍聴できなかった市民は、支援・報告集会に参加。当日意見陳述された20代の原告Aさんが事前に録音した陳述を聞きました(以下が陳述概要)。

すすり泣きが響き渡る法廷

「3月11日は中学の卒業式だった。午後、地震が襲ってきた時、『家が潰れる!』と思った。16日は高校の合格発表だった。私は歩いて発表を見に行き、友人と戸外で長時間立ち話をした。後から放射線量がとても高かったと知った。県民健康調査で甲状腺がんが見つかった。精密検査の穿刺吸引細胞診(病巣に針を刺して吸引し顕微鏡で確認するもの)を行った時、麻酔なしで長針を何度も喉に刺された。」
 思い出したくないことを陳述するのはどんなに辛いかと、私は泣けてきました。参加者のすすり泣きや嗚咽が響き渡りました。
 「医師から『手術しないと23歳までしか生きられない』と言われ、ショックをうけた。手術の前夜は不安で眠れず、泣きたくても涙も出なかった。『これで治るなら』と思い切って手術を受けたが、術後は声が枯れ、発熱や怠さで夜中にも吐いた。今も手術や治療の悪夢を見る。待望の大学進学を果たしたものの、肺に転移・再発して辞めざるを得なかった。あまり長くは生きられないかも知れない。大きな手術跡を隠せる洋服を選ぶ様になった。がんを消すため高濃度の放射性ヨウ素のカプセルを飲んだ。がん細胞を直接内部被ばくさせる《アイソトープ治療》だ。」
 医療に従事した私は、この治療の厳しさを知っているだけに、息ができませんでした。そして治療の成果が現れない辛い時でさえ、家族を思いやるAさんの優しい心に涙が溢れました。Aさんは「この裁判を通じて、甲状腺がん患者に対する補償が実現することを願います」と締めくくりました。
 私は、あなたのせいじない、私たち大人の責任なのだ!と声を上げたかったです。古川弁護士は、「私たちは6人の若者たちをを守らなければならない。ご支援を続けてください」と呼びかけました。
 我が子を守るために福島県郡山市から母子避難をした者として、原告の勇気と願いを真摯に汲み取り、速やかで正しい判決をくださいますよう裁判長にお願いします。

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