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創作ゲーム その11(ヘッセ詩集より)

こんにちは。Jinmaruです。
前回更新から少し時間が経ってしまいました。
仕事内容を綴ったマガジン「No.2ゲーム」の方では少し言い訳として触れたのですが、何せ3月4月は期末期初で怒涛の仕事量でして(汗

4月も半ばとなり少し落ち着いて参りましたので創作活動も再開していきます。

というわけで創作再開にあたっての言葉探し(正確には表現・メタファー探し)から初めつつ、徐々に創作モチベーションを上げて行かなければなりません。
2週間ほど間が空いて冷えたエンジンには暖機運転が必要なのです。

そこで、20年前に表現方法の教科書として使っていた「ヘッセ詩集」なんかを改めて読み直してみることにしました。
恐らく、以前の記事で書いたように当時の自分と色んな経験を重ねた今の自分とでは詩の解釈が変わっているはずなので、その楽しみも兼ねて。

その中で、正に解釈が変わった詩がありましたのでご紹介します。
私自身は noteの記事でも何度かご紹介しているように結構本が好きです。
ヘッセ詩集の中で本との向き合い方を書いた「書物」という詩です。

  この世のあらゆる書物も
  おまえに幸福をもたらしはしない。
  だが、書物はひそかに
  おまえをおまえ自身の中に立ち帰らせる。
  おまえ自身の中に、おまえの必要とする一切がある、
  太陽も、星も、月も。  
  おまえのたずねた光は
  おまえの自身の中に宿っているのだから。
  おまえが長い間
  万巻の本の中に求めた知恵は
  今どのページからも光っている、
  それはおまえのものなのだから。

はい。ヘッセさんすごいです。深いです。

この詩自体は当時読んだことを覚えていた訳では無く、今読み返して今の自分が見つけたものです。
しかし、今の自分の本との向かい方としてすごく解釈の変化の的を得ています。

20年前の私は「スキルアップ」という綺麗ゴトのもと、実は他の誰かよりも広く深い知識を得たいがために色んな本を読みあさっていました。
相対的な競争優位性のためです。
それは正に、他の誰かより少しでも多く自分に「幸福をもたらす」ためという動機だったのかもしれません。

しかし、動機はどうあれ沢山の書物を読みあさった結果で得た情報量や知識量は今現在の私の血となり肉となりました。
そして、その血肉は自分に幸福をもたらすためのものではなく、立場や年齢からくる使命のようなものとして、少しでも他の誰かに幸福をもたらすことを目的に使われるようになりました。
それは自身が所属する社内外の組織のメンバーだったり、家族だったり、友人だったり、特に私が諸先輩方々にそうしていただいたように、私も若い世代の人達の幸福のために積極的に展開しようとしています。

ヘッセの言葉を借りるのであれば、書物には誰かの経験や諸先輩方の沢山の知恵が「自分の中に宿る」し、「おまえをおまえ自身の中に立ち帰らせる」という力がある訳です。

いやぁ〜、やっぱり本って良いですね。
そんなことを想いながら、創作活動の暖機運転を開始しております。

本日は以上です。
ではまた近いうちに。

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