日本企業におけるタレントマネジメントシステムの欺瞞
■日本企業におけるタレントマネジメントシステムの導入の実態
昨今、巷にはタレントマネジメントシステムに関する情報やツールが多数出回っている。上場企業を中心に「人的資本の開示」が義務化された事も追い風となり、多数のITベンダー企業がタレントマネジメントシステムを開発し、人事部の仕事を楽にするとか、分散している人事情報を統合するとか、データを分析して全体傾向を掴んで経営戦略に活かす等、色々な売り文句をつけて販売競争を激化させている。その中では、一部の先進的な企業における画期的な活用事例も語られる。
日本企業はとかく比較に弱い。もっと言えば、他社から先んじるのはリスクを恐れてやらないが、他社から後れを取る事を非常に嫌う。それ故に、他社での導入事例が進むと「では、自社でも導入を検討しよう」といってさしたる情熱や戦略もないまま、人事部が主体で導入に踏み切る。結果として、一部の機能を活用し始めるのは良いものの、どのように戦略的活用をしたら良いかわからず、あるいはやったらよいのはわかっていても経営企画部門や経営陣、従業員や労働組合等のステークホルダーとの調整が困難で案件が進まず、活用しきれないまま中途半端に運用されてしまう。そして苦し紛れに「社内コミュニケーションを活性化させるための自己紹介情報の公開」や「社員一人一人のビジョン、強み、スキルを明確にしてそれを公開する」等、一見すると良さそうだが経営戦略上何のインパクトも生み出さない施策が横行する。タレントマネジメントシステムを開発しているITベンダーも、それらがあたかも先進的で有効性の高い取り組みであるかのように紹介し、他の運用があまり進んでいない企業へ利用を促し、サービスを何とか継続してもらおうと必死にPRする。これに一体いくらのお金と労力をつぎ込んでいるのだろうか。それによってどれほど経営にポジティブなインパクトを与えているのだろうか。
■タレントマネジメントとは一体何か?
自分の中で考えているタレントマネジメントについて語ってみたい。昨今のITベンダー主導のシステム導入ありきタレントマネジメントは、欺瞞だと思う。これら全てはITベンダーの商売のやり方に過ぎない。個人的に考えている事として、タレントマネジメントは、ITシステムありきの施策ではない。例え、ツールが紙の情報であっても、手作りのExcelであってもやるべきだ。
主なタレントマネジメントシステムでは、社員の該当部署における滞留期間を出したり、それを基に未来の人事異動をシミュレーションしたり、現場での1on1の実施記録を残したり、昇進昇格のデータを蓄積したり、人事考課の情報を蓄積したり、残業時間を入れて各社員の稼働状況を見たり、自社の男女比率や女性管理職人数の即時把握、年齢構成の実態等の把握が出来たりする。確かにそれらの機能は便利ではある。しかし、それらは実はタレントマネジメントシステムでなくても、給与計算システム+Excelでの資料作成で十分に対応出来るものであって、タレントマネジメントシステムの必須の存在理由にはならない。Excelでの情報管理が人事部内で散逸する実態は、情報管理を属人化しているマネジメントの不備が理由であって、きちんと管理しようと思えば出来る事である。すなわち、タレントマネジメントシステムがなければタレントマネジメントができない訳ではない。あったら便利だが、必須のツールではないという事だ。
では、タレントマネジメントとは一体何をする事なのだろうか。
タレントマネジメントの目的を端的に一言で表すならば、それは後継者登用育成計画(サクセッションプラン)の遂行だ。
タレントマネジメントの源流をたどれば、それは外資系企業でのCEOによる後継者選抜検討のプロセスだった(そして今も手法は進化しつつもコンセプトは変わっていない)。現任CEOが移動中や空き時間等に次期幹部候補生の資料(履歴書、スキルシート、業績考課の結果情報等)をカバンから取り出してそれを眺めながら、誰を次の副社長に任命すべきかを考え、次の人事異動やタフアサインメント(=修羅場経験、業績不振の子会社の社長として送り込んで立て直しをさせる等)を検討する事に端を発している。
タレントマネジメントとは、会社内におけるタレント(トップ人材、次期幹部候補生)を如何に活用し、育成あるいは意図的に修羅場を経験させ、高い報酬を出してリテンションし、それらを通じて成長させて重要ポジションに任命するか、を考えて実行するプロセスだ。当然、会社にとっての重要ポジションとそのジョブディスクリプションを定義する事も含まれる。
タレントは、次期副社長や事業本部長など、会社にとって重要ポジションに就任を検討出来るレベルの人材であることが前提となる。頭角は既に表れていて、一定の選抜は終わっている。ポテンシャル人材を登用する場合はもっとレイヤーの低い段階(主任~課長クラス程度)であり、部門単位での話となる。全社的なレベルとまでは言えないだろう。
タレントを就任させるポジションの特定やジョブディスクリプションの設定も、基本的にはほぼ終わっているか、新たに定義する(例:DX担当幹部等)にしてもそれらは経営課題として優先的に扱われる。あいまいな定義で重要な経営幹部の仕事を任せる訳にはいかないからだ。
■戦略人事とタレントマネジメントの関係性
全てのタレントマネジメントは、サクセッションプランを実現する為にあるといって差し支えない。タレントマネジメントに取り組む事=戦略人事となる。戦略人事とは、経営目標を達成する為に人的資源をどのように調達し、運用し、成果を創出するか、というものだ。それを経営幹部の人事抜きに出来る筈はないだろう。
タレントマネジメントシステムを入れるという事は、タレントマネジメントを行う為という事だ。それは即ち、戦略人事(=重要なポジションへのサクセッションプランの実行)に取り組む事である。それを効率的に管理する為には専用のITシステムがより有効となる。
タレントマネジメントシステムを導入している企業で、「システムを導入したのは良いものの、どのように活用するべきか迷っている(わからない)」といって他社事例を参照して真似てみる、みたいなことをやっていたら、それは完全にシステムに振り回されていて本来の目的を見失っている。基本ではあるが、まずは自社がどんな人事施策を達成したいか、というゴール設定から始めなければならない。そして単に人事部の情報統合と業務の効率化を行う為だけだったら、タレントマネジメントシステムなど不要だ。給与管理システムでも十分だし、その他の情報はExcelで一元管理しておけばよい。お金をかけてまで行うものではないはずだ。
■タレントマネジメント施策の適用範囲
タレントマネジメントは本来の目的から考えると、基本的に次期幹部候補生を中心としたエース人材がその適用範囲となる。しかし、日本企業の多くがあからさまな選抜人事を嫌う傾向にある。それは選抜されなかった社員のモチベーション管理が難しくなるからだ。日本企業は村社会的な側面を持っており、明らかな"えこひいき"や選抜は嫉妬ややっかみの原因となる為、総じて歓迎されない。欧米の企業では、入社の段階で選抜が行われることは自明の理であり、例えば高卒新卒で入社した社員が幹部になる事は原則としてあり得ない(あったとしてもそれはエース人材として頭角を現した人材のみであり、一般的ではない)。日本企業は新卒一括採用を基本としており、大卒以上の新入社員は基本的に全員が幹部候補生として扱われる。そして長期的な視点で緩やかに選抜が進み、入社10年~15年くらいで決着がつく。その期間は全員を平等かつ公平に扱う事が基本とされる。
そういった企業文化の会社が、全社員向けにタレントマネジメントを実施しようとする事を否定はしない。しかし、それは次期幹部候補生に対する選抜型タレントマネジメントを実行出来ている段階での話だ。そもそもサクセッションプランが実施出来ていない段階で、全社員の情報を広く浅く把握しても、多少の示唆を得られたとして、経営にインパクトを及ぼす事は出来ない。何故ならば、そこに戦略(人事)がないからだ。タレントマネジメントシステムの運用にはそれなりの業務負荷がかかる。その施策が経営に大きなインパクトを与える事ができないならば、コストパフォーマンスが悪いので、やるべきではない。
■結論
タレントマネジメントシステムを導入する際は、その目的を明確にするべきだ。目的とは即ち戦略人事の遂行=重要ポジションのサクセッションプランだ。サクセッションプランを取締役だけの密室会議で決めるのではなく、ITシステムを活用しつつ戦略的に考え、公正かつ効果的に管理運用する事が優れた後継者への継承につながる。
■補足:日本企業で戦略人事が実施されない理由
以前から企業では戦略人事の実施の重要性が叫ばれている。人事部もその重要性を認識しているものの、実際に戦略人事を実行出来ている企業は少数である。人事施策が経営施策と連動しておらず、独自に動いてしまっている事も指摘されている。これは何故なのか。背景に人事部が忙しすぎる、と言われているが、これは言い訳に過ぎない。何故ならば、人事部でなくても、経営戦略部等の戦略専門部署も実施出来ていないからだ。
先に述べた通り、戦略人事とはすなわちサクセッションプランである。この施策が計画的、組織的に実行されない背景には、取締役の任命や本部長クラスの登用が取締役会(特に社長)の専権事項になっている事が挙げられる。そこに人事部が具体的かつ実質的に介入&支援出来ておらず、蚊帳の外になっている。取締役で人事部門の管掌役員がいればまだ良いが、その場合も人事部員が組織的に関わることはなく、上層部で決まったことを事務的に推進するに過ぎない。
サクセッションプランは企業の未来を決める最重要施策である。大型の設備投資や買収等の重大な意思決定よりも、長期的かつ広範囲という観点から重要性はより大きい。その戦略的アプローチが計画的かつ組織的に行われていないという事は、その決定内容は個人的かつ恣意的に決められていると推察される。日本企業の生産性の低さは以前から指摘されているが、その原因は全て経営者の経営能力が源だといって差し支えない。その背景に、サクセッションプランの密室化があるとすれば、日本企業の突破口はここにあるかもしれない。そして経営者が自身の専権事項としての経営幹部の任命権を手放し、組織的に運用を行う事が日本企業の経営効率を次のステージに引き上げるきっかけとなるだろう。