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【ジンジブ社員図鑑No.6】自分のことを好きになって人生が変わった

ジンジブで個性を発揮して働く社員を紹介する「ジンジブ社員図鑑」、今回はミライ人財開発部での高卒社員向け研修「ルーキーズクラブ」の講師として高卒1年目の社員約100名の前に立つ、中途入社1年目の土屋さんを紹介します。ジンジブへの入社前には独立経験や、心理士として5000人の前で講演もした経験を持つ土屋さんのこれまでの人生での転換期は何でしょうか。入社までの経緯や、現在の業務内容、仕事をする上で大切にしていることについて伺います!

ージンジブに入社される前の経歴について教えてください。

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大学生時代にアメリカとイタリアに留学をして、人生や価値観が180度変わりました。ちょうど大学3年生の秋頃の就職活動の時期に帰国しました。海外の考え方は日本とは全く違って、日本の価値観に馴染めなくなっていました。私の場合は、一年浪人して大学に入り、その後休学して海外へ留学に行ったので、帰国した時には自分の年齢と2年間分、学年がずれていました。

そのため、自分と同い年の友人のほとんどが社会人になり、就職してから3~4カ月ほど経つとネガティブな意見がとても多く、SNSにもネガティブな投稿が増えていました。私は「そういう生き方はしたくない」という想いと「就職活動をしなくては」という想いの狭間にいました。当時友人に就職活動について相談すると、「社会人になったら遊べなくなるから週末を楽しみに生きている。毎週日曜日の夕方になると憂鬱な気持ちになる」という話を聞いて、素直に「怖いな」と感じました。もし週末に毎週憂鬱になるとしたら、1か月で4回、1年間で約50回、65歳まで約40年間働くとしたら2000回も憂鬱になることになります。

ヨーロッパでは「モラトリアム期間」という、大学を卒業してからストレートに就職せず、文化的に自分を探す期間があります。日本のように大学を卒業してすぐにストレートで就職する方が珍しいです。
海外では大学卒業後、様々な企業でインターンシップを行い、社会人としてプロの知識やスキルを身に着けてから、20代半ばから後半ではじめて企業に本就職するのがセオリーなんです。一方で、日本にはそういった文化がないので、全員が一斉に就職活動を始め、自分の生き方や個性について考える期間もなく、同じ髪型、同じ格好、同じ化粧をして就職活動をします。何のために就職するのかを聞くと、「自分の生きる道」や「なりたい自分」のためというよりは、「お金や生活」のために働くという方が多いような気がします。

イタリアでは、2008年頃には若者の失業率が30%を超えていました。日本のように大学卒業後すぐに働く場所を見つけるのは大変で、アルバイト先すらも簡単には見つかりません。大学院を卒業して5か国語も話せる資格持ちの人でも給料20万円以下の方も普通にいます。
そんな環境と比べたら、日本は他の国とは違って、アルバイトでも食べていける国で、良くも悪くも平和で、先進国の中でも非常に恵まれている国だと思います。そんな環境があるのに、「生きていくだけ」を目的にやみくもに就職することには意味がないと感じるようになりました。
社会人になるのであれば、少しでも社会人としての目線を身に着けてから就職活動をした方が良いと感じ、就職活動から一度フェードアウトして、個人でビジネスを始めました。

当時は、成果報酬型のフリーランスの営業をしていました。その仕事を将来ずっと続けたいとは思っていませんでしたが、私もある程度稼げるようになり就職をしないまま卒業してしまいました。

とりあえず食べていける仕事をしていたら、結局は友人と一緒だなと感じ、自分が夢中になれる仕事をしたいと思うようになりました。自分のやりたい仕事は何なのか考えていた時に、ベンチャー企業の社長に拾ってもらい、23歳で初めて就職したのが中途向けの人材紹介会社でした。

1年弱ほど働きましたが、スーパーブラック企業であったこともあり、最後は2か月分の給与未払いのまま退職しました。当時を思い出すと、日中は人材業界の営業の仕事をし、夕方からは居酒屋のウエイター、夜はパチンコ店の搬入作業の手伝いなど、働き方もめちゃくちゃでした。

ーその後はどんなお仕事に就いたのでしょうか?

転職先では、24歳で外資系企業の日本支社の立ち上げを経験しました。東アフリカのウガンダに本社を構え、中古車の仲介業をしている会社でした。中古車の輸出の際の取引先や法律上の手続きのサポートをしていました。ところが、本社がアフリカということで治安の悪さや文化の違いなどもあり、経営が上手く回らず問題が重なり、1年で日本支社は撤退となり、事実上の倒産という結果で終わりました。

2社連続で会社の都合で職を失ったことで、24歳にして独立することを決意しました。イタリア留学で得た、現地の方との人脈を活かし、現地の店舗や工房と提携して、イタリアのファッションアイテムを個人輸入し、Web上のセレクトショップで革製品を販売していました。
当時はリモートワークは全くメジャーではなく、パソコン1台でどこでも生きていけるという生き方に憧れて、日本とイタリアを繋ぐ仕事がしたいと感じ、文字通りパソコン1台でイタリアと日本を行ったり来たりして暮らしていました。
しかし、色々な国に行けるのは楽しかったのですが、物販系のビジネスは、商品やパソコンとにらめっこをする生活でした。私の場合は興味の対象が「もの」ではなく、「人」に向いていたので、人と関わって成長し合えるような仕事がしたいなと感じ、徐々に方向転換をして心理学やコーチングを学び始めました。資格を取得してコンサルティング心理士という職業に就き、心理士としてこれまでキャリアを積んできました。
振り返ると、ジェットコースターみたいな生き方でした。

ーコンサルティング心理士とは?

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コンサルティング心理士とは、カウンセリングなどの医療分野とは少し違っていて、産業分野での仕事です。
カウンセリングは、「-」な状態をフラットな状態にする癒しや治癒を目的としています。一方で、コンサルティング心理士とは、心理学的な観点でコンサルティングをすることで物事を改善してゴールに導いて行くことが仕事になります。イメージとしては「0」の状態のマインドを「+」に持って行く感じです。

法人向けには、組織改善や組織活性、能力開発、制度設計、コミュニケーションデザインなどの分野での課題解決を行います。
中小企業では、昔ながらの感覚を持っている方が多く、新入社員はその感覚についていけないことが多い。「昔はこうだったから」や「社会人としてこうするべき」というような昔の当たり前は若手には通用しません。お互いに生きてきた時代背景が違うということは、経験してきた社会背景も違い、感覚的な多様性も全く違っています。双方にフィットするような制度がないと、良かれと思って行った言動がかみ合わずに良くない関係に陥ることもあります。
そういった課題を、心理学的に原因と状態を見極め、そこで起きている認知的不協和を直すために新たな評価制度やコミュニケーションルールをなどを提案し、指導していくのがコンサルティング心理士の役目です。
個人の方向けには、目標達成能力や営業力を磨きたいというような課題をお持ちの方がいらっしゃいました。


ー人生の転機になった出来事はありますか?

幼少期はとても内気で、外遊びより室内で絵を描いている方が好きでした。
幅広く興味や関心は持つのですが、引っ込み思案で人見知りだったせいでなかなか一歩を踏み出せないタイプでした。

これまで、何度か人生を考え直す機会がありましたが、1番最初のきっかけは高校2年生の冬でした。当時、将来はプロのダンサーになりたいという夢を持ち、ストリートダンスに熱中していました。その最中、「滑膜性骨軟骨腫症」という関節の病気になり、ダンスの練習にも限界を感じるようになりました。原因不明の病気で、治療法のない難病です。命に直接かかわる病気ではないため研究している医師も少なく、「君が生きている間はこの病気は解明されないだろう」と医者に告げられた時は、当時17歳の私にとってはとてもショックが大きかったです。夢を諦めなければならないことを受け止めきれず、他になりたいものも考えられませんでした。

それからは、自分の殻に閉じこもり、そのまま受験にも失敗しました。予備校にも通わせてもらっていましたが、病気のことを引きずって勉強にも集中できず、成績もすごく悪かったです。当時の私は、親や兄弟、自分自身も含め、誰のことも信用できず、何もかも捨ててしまいたいと思うほどしんどい状況でした。それでも、全てを捨てることが出来ない中途半端な自分に嫌気がさしていました。

そんな時に、テレビで世界の恵まれない子どもたちのドキュメンタリー番組を見て、「自分よりも辛い思いをしている人が世界にはいるんだな~」とぼんやりと思っていました。

当時は旅行でも海外に行った経験がなく、外の世界を全く知りませんでした。私の場合、関節の病気を抱えていても外見には全く出ないため、辛い思いを人に理解してもらえず、日本語の言葉は通じていても、心が通じないようでとても苦しく、そういった状況の中で、日本にいたくないという気持ちと、外の世界を知ったら何か変わるきっかけがあるのかもしれないという期待と現実逃避の感情が入り混じって、段々と海外に行きたいと思うようになりました。

海外に行くことを目標に、異文化交流に力をいれていた大学に進学しました。大学の留学プログラムを利用してアメリカに3か月半程留学したことで、少し自分の中で価値観が変わり、もっと自分の可能性を広げたいと感じて帰国しました。
アメリカ留学で自分の変化を実感したことで、さらなる成長を求めて、大学2年生の終わりに大学を休学をしてイタリアに渡ることを決意しました。

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ここで2回目の転機が訪れます。
イタリアでは良くも悪くも世界の広さと、人間の醜さ、美しさを体感しました。
移民の多いイタリアでは、「常識」や「普通」という概念がなく、多様性に富んだ文化がありました。自分と違う他人を排除するのではなく、それぞれが各々の「個性」であると認め合う文化があり、とても自分に合っているような気がしました。

特に価値観が変わった出来事があります。
イタリアのフィレンツェに滞在中、ヨーロッパの人はクリスマスは家族と過ごすために実家に帰るため、1人ぼーっとするのももったいないと感じ、ナポリ・シチリア・ベネチアへ1人旅へ行くことを決めました。
現地の人との写真撮影を通じて楽しんでいる中、思い出の詰まった一眼レフを盗まれたり、道に迷ってホテルにたどり着けなかったりとハプニングばかりでしたが、現地の方に助けられながら運には恵まれて過ごしました。

しかし、その翌日、旅の締めくくりに美味しいご飯を食べようと思い、予約したレストランでパスタにかけたチーズにカビが生えており、高熱を出してお腹を壊した上に、ホテルのシャワーが壊れてお湯が出ず、凍えて意識が朦朧としながらフィレンツェに戻りました。
フィレンツェでは、カウントダウンパーティーで友人たちが盛り上がっているのに、私は1週間ほどずっとベッドで寝込んでいました。

ルームシェアをしていたルームメイトが、体調を崩している間はずっと面倒を見てくれて、これまでの一人旅の話を聞いてくれました。辛いことの方が圧倒的に多い旅にだったのですが、「泣きたくなるくらい辛い気持ちも分かるし、カメラを盗まれちゃったのも残念だけど、モノは買える。その時に交流した人との思い出や経験は君の心の中に残っているよ。君はまだ若いんだから、時間をもっと味わって人生楽しんでいきなよ」と教えてもらいました。
「時間を味わって人生を謳歌する」という感覚が、東京の忙しない街で育った私にとって、価値観を変える大きな出来事になりました。
辛いことも、楽しいことも全部ひっくるめて「人生」で、世界の美しさも醜さももっと楽しんで自分を成長させていけたら良いんだなと考えられるようになって、心が軽くなったように感じました。
振り返ると、価値観が変わったのも語学力が伸びたのも、この頃でした。変わらざるを得ない環境に身を置いたことで、人間的にも言語的にも成長できたのだと思います。

ージンジブとの出会いは?

もともとジンジブのことは知らなかったのですが、巡り巡ってジンジブへの入社が決まりました。
フリーランスは自由な反面、小さな事しかできず、自分のキャリアを積み上げるために大きいことを手がけてみたいと思い、人材業界で転職活動を始めました。
まず1社目に人材系の広告会社で選考を受けていたところ、面接して頂いた社長がすごく人想いな方で「この企業が君に合ってるんじゃない?」と、ある会社を紹介して頂きました。その会社の理論に興味を持ち、採用担当の方に繋いでいただきました。面接の際に、私は心理学や脳科学の知識はあっても会社での経歴よりフリーランスとしての経歴の方が長かったため、会社員としてのマネジメント理論を扱っている会社にいきなり入るのはミスマッチになるというお話をいただき、一度会社でのマネジメントを経験しようと感じました。当時、その会社で新しく始められた人材紹介サービスを通して、紹介していただいた企業のうちの1つが「ジンジブ」でした。

何社か面接を受けた中で、ジンジブへの入社を決めたのは、新田取締役との面接で感動したからです。私の持っている世界観と似ていると思い、この会社に入ったら自分のやりたいことが出来るし、自分自身をもっと成長させることができると感じたのがきっかけでした。

ージンジブではどんな部署で働いていますか?

当日の様子(挙手)

2021年4月に新しくできた、ミライ人財開発事業部は、新規事業の開発をしている部署で、事業開発をする上で必要な教育コンテンツの作成を専任で行っています。ジンジブの顧客に入社した高卒1年目の社員のための「ルーキーズクラブ」や早期離職者や進路未決定者向けのビジネス・ITスキルの研修と就職支援の「キミの天職」事業など、採用後の教育に力を入れた部門を担っています。
入社してから3か月ほどは、キャリアコンサルティング部で、高校現場で就職ガイダンス等を行っていました。実際に学校で先生の考え方や高校生の物事の見方や感覚を感じられたことが、研修のコンテンツづくりにも活かされています。

私は心理士という職業に誇りを持っているので、自分にしかできないミッションをクリアにしていきたいですし、自分自身のスキルをもっともっと成長させていきたいと考えています。その上で、会社や部署に自分ならではの形で貢献できれば一番うれしいです。
コンサルティング心理士として私に与えられているミッションは、専門的な知識を持って人間や組織を開発・改善していくことだと考えているので、まだまだ変えていきたいところがたくさんあります!


ー「ルーキーズクラブ」ではどんな想いを持って担当されていますか?

サービスとしての意義も大きいと思いますが、課題点もまだまだあります。企業様、ルーキーズ、ファシリテーター、関わって下さる全ての方に参加して良かったなと感じていただけるような、それぞれが成長していけるようなものにしていきたいです。
今年のルーキーズクラブの『なりたい自分になろう』というテーマは、私にとっても病気になってからずっと持ち続けている自分自身の人生のテーマでもあります。これまでの人生の中で「自由」と「成長」という価値観が大きい軸にあり、逆に「生きていくためだけに働く」や「みんなが社会人になるからとりあえず自分も働く」のは少し寂しい気がします。
将来的になりたい自分像があって、目標に向かって自分を追求し続けていくことが最も幸福だと考えているので、皆さんにも「なりたい自分像」を持って、貪欲に成長してほしいなと感じます。どうせやるなら、関わる人に「参加して良かった」と思ってもらいたいですし、私自身もそう思えるような環境づくりを心掛けています。

ー将来の夢や目標はありますか?

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専門家としての仕事を極めて行きたいと思っています。人間はまだまだ未知の領域があって、だからこそ探求すればするほど面白くて、「人」という生き物についてもっと知っていきたいという好奇心や知的欲求が強いです。仕事を通じて自分の成長に繋げたいですし、関わってくれる方も成長できる社会の仕組みを作りたいと思っています。


ーそんな仕組みをつくった先にどんな未来がありますか?
「成長することを楽しめる社会」がつくれたらいいなと感じています。
なりたい自分があるから、そのために今の働き方、生き方をしているとコミットできる方が増えると、色んな部分が改善され、多様性も広がると思いますし、もっと日本が元気になると思います。敬うべき過去ももちろん大事ですが、過去に執着していると若い人が羽ばたけません。これからはイノベーションを起こしていきたいと思います。


ー ありがとうございました。

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