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構造主義とカタカムナの思想の類似性、そしてこの世の構造を伝える言語としての数理モデルとプログラミング教育の重要性

人が日常会話や普段の仕事で言葉を使ってコミュニケーションをとることになんら問題はありません。それは人間社会がもともと構造化されているから、言葉はそのままの意味として相手に理解され通用するためです。
我々が使うどんな言葉も先人によってある程度定型化されていて、自分が考えて発したと思っている言葉も基本的には先人が長年使ってきた定型構造をなぞっているだけであり、相手側もその構造についての知識があるからこそ相手に言っている事が伝わります。

ところが真理の探求のように、俯瞰構造がそもそも見えない話となると、言葉というツールはまったく役に立たなくなります。真理について他者と話すには、言葉ではなく数理を使って”会話”をするしかありません。

釈迦は言葉の不完全性を知っていたので「私の教えは書物に書き残すな」と弟子に言っていました。しかし弟子はその意味自体が理解できませんでした。もしこれを理解する優れた弟子がいたなら、当然その弟子は書物に書き残していないはずなので、現在伝えられている教典は未熟な弟子によって伝えられている事になります。

仏教の「空」の概念が般若心経に書かれていますが、般若心経を読んで、そういうことかと理解できる人は存在しません。それを理解できるという人は、最初から空の概念の構造をおおよそ理解している人であり、単に般若心経を書いた人との間でこれを「空」と呼ぶという認識を共有できただけのことです。

釈迦が禁じたにもかかわらず言葉による教えが後世に残されたのは、釈迦の時代にはまだ数理モデルというものが発明されていなかったため、書物に言葉で書き表す以外に方法がなかったためでもあります。釈迦がもし数理を知っていたら、仏教の教典は釈迦自身の手によって数理モデルで書かれていたかもしれません。

西洋でも古代ギリシャ時代から真理を言葉を使って説明しようという試みが行われてきました。それを哲学と言います。言葉の不完全性という問題がある以上、言葉で真理を他者に説明することはそもそも不可能であるということに人類が気がついたのは比較的近年のことです。

1960年代に生まれた構造主義思想は、哲学の論争を完全に葬りさりました。構造主義では、言葉ではなく数理モデルとして表されます。

広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す語である。

これ自体、言葉で説明しようとするとこのようにじんましんが出そうな難解極まる文章になってしまいますが、その本質は子供でも、あるいは現代のプロイセン教育に毒されていないという意味では子供の方が大人よりずっと早く理解できるものです。

ここにある現象に潜在する構造という言葉。相似象会誌を著した楢崎氏と宇野氏によれば、これこそカタカムナ文献が示す、この世界の実相を知る鍵のようです。私もまだ相似象会誌を読み進めている最中ですが、両名がこの点に言及しているという一点だけを見てもそこいらの宗教家などとは知性の次元が違う事がわかります。(現在書店に並んでいるカタカムナ関連本の多くは、カタカムナの名をスピリチュアル商法として利用しているだけの詐欺同然のものであり、会誌の内容とは一切関係ありません)。

構造主義に関連して、3年前にはこんな研究発表がありました。

構造主義と、現象をコンピュータを使って数理モデルで表すという手法は、生まれてほんの数十年しか経っていないまったく新しい学問なので、ここに書いてあることもなんの事だかさっぱりわからないと思います。しかし言葉に代わって数理モデルでこの世の姿を「説明」するという方法論自体は、上に書いたように子供でも理解できるほど単純明快です。

私は引き続き相似象会誌とカタカムナの研究をしつつ、この新しい学問を子供でも(子供だからこそ)理解できるような教えの仕組みを作っていきたいと思っています。それにはプログラミングが重要になってきます。

何かを覚える時には、覚えた事を他者に教えるというプロセスを経ることによって理解が深まる事が知られています。教わるだけで終わってしまうと表面的な浅い理解に留まり、本質を掴むことはできません。

数理の場合、学びながらコンピュータに教える事が有効です。コンピュータから教わるのではなく、コンピュータに教える。自分の手でブロック遊びのようにプログラムを組んで感覚的に触れてみる。これによって理解がぐっと深まります。と言うよりは自分の手で数理に触れてみる事がない限りは理解もできないはずです。それは外国語を覚えようとして教科書をいくら眺めていても、実際にその言葉で話してみない限りいつまで経っても話せるようにはならない事と似ています。

これは私が尊敬する科学者の一人、シーモア・パパート博士が著書「マインド・ストーム」で提唱した事です。40年以上も前に書かれた本ですが、書かれている内容は揺るぎのない普遍的真理なので、何年経ってもその価値は変わりません。


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