ハロウィンの起源とサウィン
ハロウィンの起源は、もともと古代ケルト人の世界観と宗教観に根ざしたものでした。
僕は自然のリズムに従うなら、一年の区切りはグレゴリオ暦における1月1日ではなく、一年のうちでもっとも日が短い冬至であると考えています。したがって冬至を過ぎて最初に行く年末の神社参拝が僕個人にとっての初詣です。
古代人も、それとほぼ同じ考え方を持っていたようです。
一年を四分割した冬至・夏至・春分・秋分。これをさらに二分割し八つに分けた概念を車輪になぞらえて、ホイールオブザイヤー(Wheel of the Year : WY)と呼びます。
このWYにおける冬至(Yule)の一つ前の区切りが11月1日、サウィン(Samhain)。このサウィンは、古代人にとっては「夏と秋の自然の恵みの終わり」を意味するものでした。
そのサウィンの前日である10月31日、太陽が沈んだ瞬間。古代ケルト人はこの瞬間を一年が転換する時と考え、この年の収穫に感謝の祈りを捧げる祭りが夜通し行われました。
食糧生産技術と保存技術が確立して一年中食べるものに困らない現代人にとってはサウィンはあまりピンとこない区切りですが、古代人にとっては生死に直結する、ある意味WYでもっとも重要な日です。
サウィンは人間にとって精神的な陽から陰への転換点でもあります。これは現代でもウインターブルー(冬季うつ)として知られていますね。日照時間が短くなることが大きな要因と言われています。気分的に陰鬱になる事から、やがてサウィン祭は「死」や「悪霊」といった概念とも結びつけられていきました。これが今日のハロウィン祭の起源です。
なおこの日を「ハロウィン」と呼ぶようになったのは、キリスト教がサウィンと同じ11月1日を諸聖人の日(All Hallows' Day)と定め、その前日なのでAll Hallows' Eveと呼んだ。これが変化してHalloweenとなったという説が有力です。
サウィンと諸聖人の日が重なったのは単なる偶然かもしれませんが、「あえてサウィンと同じ日にキリスト教の祭りを盛大に催すことで、サウィン祭の伝統を消滅させることを目的としてキリスト教会が仕組んだ」という説もあります。
なぜならキリスト教にとってそれは異教徒の祭りであるだけでなく、キリスト教以外の土着宗教を邪教と見下していたため、サウィン祭を悪魔の祭りとして否定していた教会もあったためです。
結果的には、形式上はケルトの祭りの色が濃く残り、名称だけキリスト教の祭りに置き換わった形で現代へと伝わっていますね。