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読書記録|司馬遼太郎『菜の花の沖』

読了日:2023年7月2日

 「高田屋嘉兵衛」という名は聞き覚えはあったが、いつの時代の何をした人物なのか、詳しいことは私は知らずにいた。
 この歴史小説を手にした理由は、好きな文筆家の司馬遼太郎の作品だから、というだけだったが、読んでいくうちに自分が住んでいる北海道ととても縁が深い人物だということがわかり、更に前年に嘉兵衛が生きた時代に深く関わりある松前藩が置かれていた松前町(松前城をめぐり、新選組の土方歳三が、榎本武揚らと共に開陽丸に乗ってやってきた江差町も立ち寄り、廻船業を営んでいた近江の豪商の屋敷なども見学してきた)へ旅行したこともあって、みるみる作品に引き込まれていった。

 高田屋嘉兵衛は淡路に生まれた江戸時代後期の廻船業者。後に、北前船に乗り、蝦夷地に進出するようになる。
 道南の松前町から更に現在”北方領土”と呼ばれる我が国所有の島、国後島択捉島間の航路を開拓し、漁場運営と廻船業でこの島々の蝦夷人(アイヌ人)と出稼ぎ者の生活を潤わせた。
 その中で、嘉兵衛は松前藩の実態を知る。…この内容は、松前町へ旅行した私には少し衝撃だった。なぜなら、地域の人々に心から敬われていた藩だと思っていたからだ。
 実のところは、蝦夷人に和人の言葉を教えず、領地にも入れず、蝦夷人を奴隷のように扱い働かせ、過酷な環境に陥れていた。更に悪いことに、松前藩はそれを幕府に対しひたすら隠して、利益を取り上げ続けていた。

 別の私のブログで松前藩についての記事を書く時に、松前藩の歴史を深くはないが調べた際、そういったことが書かれてるものはなかった。歴史というのは、自らの黒い部分は書かないものだから、今となっては「そういうことか」と解釈はするが、自分が住んでいる北海道という地域で唯一の日本式城郭を持つ藩が、そういうことを行なっていたのかと思うと残念な心境でもある。

 当時の日本はまだ鎖国を敷いていて、長崎でのオランダとの交易以外は外国との接触を拒否していた。
 日本の開国を望んで接近してきたのは、”黒船”で歴史的に有名なペリーだけではない。反対側に位置する国、ピョートル1世が興した帝政ロシアもそうであった。

 黒貂などの毛皮商を元に、アメリカの一部帝政ロシアが設立した露米会社を営むレザノフが、日本に通商を求めてやってきた際に幕府から突っぱねられ、それが気に食わず樺太択捉などの日本人居住地を攻撃し日本側に被害もたらす。
 幕府は帝政ロシアに怯えつつも事の真相を探るべく、日本近郊に来ていたロシア軍艦ディアナ号艦長ゴローニンと以下7名を捉えた。(ゴローニン事件)

 それを知ったディアナ号副館長リコルドが、ゴローニンたちの安否と消息の確認、そして彼らを取り戻すために、今度は国後島沖にいた嘉兵衛の船・観世丸を拿捕する。
 嘉兵衛観世丸の乗組員のうちの5人はカムチャッカへ攫われていった。

 普通ならばそんなことがあればもう絶望しかないのだが、嘉兵衛の場合は違っていた。
 なんと自らが、ロシアと日本の行き違いで起こってしまった事件の平和的解決を目指そうと、その身を尽くす。一歩間違えれば国家間の戦争となるが、時間はかかったが嘉兵衛はとうとうこれをやってのけた。

 高田屋嘉兵衛という人物は、子供の頃からとても辛い経験を重ねてきて、どこか子供らしくないところがあったという。
 彼の人生をこの本で追っていくうちに、その頃の辛い経験が嘉兵衛という像を作り上げている要素になっているのは感じ取れるが、彼の場合、あんな経験をしていながらも、とことん誠実を突き詰めたような人格になっているのが奇跡のようにも思う。
 その人柄もあって、リコルドとは友情を築くに至る。

 日本にこのような男がいたのか、と誇らしく思うのと同時に、現代で日本からは何かと敵視されやすいロシアにもリコルドのような誠実な男がいたのか、と思わされる。

 何かと私たちは自国と他国の人を”国”というイメージで見てしまいがちだが、個人と向き合えば分かち合えることがある、ということもこの作品から改めて学ぶことができる。
 生まれた国や人種が違っても、所詮、人はただの人なのだ。
 大切なことは、相手を理解しようとする気持ち、自分の思いを伝えようという気持ちの2つ。これは国籍が同じ相手に対してもそうだと思う。

 この作品で知った一つに、北海道の観光都市でもある函館(箱館)は、この高田屋嘉兵衛が拓いたことがある。
 函館には何度か行っているが、そのようなことを知れる場所を訪れたこともなかったため、今初めて知るに至る。

 蝦夷人からの侵略を防ぐような地勢に城を構える松前ではなく、嘉兵衛は現・函館がある場所こそ町とするに相応しいと見抜き、私財を投じて基盤整備事業を実施し、造船所も建設するなどして、箱館の発展に大いに貢献した。
 実際どうなっただろうか?
 海を知り尽くした嘉兵衛の見立ては、全く間違いではなかったわけだ。

 残念なのが、そのことを北海道民の多くが知らないことである(かくいう私もそうだった。お恥ずかしい限り)。
 函館市民でさえも知らない人が多いのではないだろうか。

 この高田屋嘉兵衛という人物の生き様や成したことから、現代人は吸収できることが多くあるような気がした。
 歴史に登場する人物とは、時を超えた未来の人間にさえも影響を与える力を持っている。
 故に、歴史に名を残せるのだと思う。

…と、読者に感じさせる、司馬遼太郎の文才と視座が素晴らしいことを書き添えておく(笑)

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