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神社に百社以上を上がり感じたことは

こんにちは。
今回は「神社に百社以上を上がり感じたこと」についてお話しします。
個人的な感想をツラツラ書いていきます。

神社の上がりはじめは


最初神社に参拝したのは「人からすすめられたから」
単純にそれだけ。

神社に行って手を合わせて「お願い事」をして帰る。
こんな気持ちで神社に参拝する人も少なくはないと思います。

私もその1人で神社で神頼みすれば良い事が起こる!
御利益を頂けると勝手に想像していました。
しかし、この考えは「間違っている」と分かりました。

例えばですが「自分の上司や社長や大先輩」に挨拶に行って
「お願いします!何か下さい🙏」なんて言われたら
「良い気分」にはなりませんよね?

初めて参拝する神社なら「初対面の相手」に
「はじめまして!どうか恵んで下さい!」って言っているようなもの!

このように考えると神社でいきなりお願い事をするのも「なんだかなぁ」と思いますよね。

もしかすると「御賽銭あげたから」と言う方もいるかもしれません。

例えば『100円寄付したから私に宝くじを当てさせて!」って言われたら「えっ?何言ってるの?」ってなりますよね。

それと同じ事が神社でも起きていると考えると
感じ方や接し方も変わると思います。

私も最初は同じ考え方でしたが
学ぶうちに思考を変えて参拝するようになりました。

感覚が研ぎ澄まされる


神社に参拝して何社も上がりに伺うと「感覚・空気感」を
感じるようになりました。

もちろん自身でも「これから神社さんにお詣りさせて頂く」と心の準備も整えておきます。
そんな感じで行くと神社に近づくにつれて「気持ちが高鳴る」事を覚えました。

ドキドキする感じのような
高揚する気持ちのような

不思議な感覚です。

神社に着き、鳥居をくぐり抜けると
「違う空気感」を感じるようになった。

この空気感は「神社によって感覚が違う」と感じます。

主だって3つをお社別に良く感じます。

・凛とした空気感
・優しく包み込む雰囲気
・キリッとしている

感じる空気感が神社により違いますが
「心地よい感じ」はどの神社に伺っても同じだと思います。

その理由は「自然を感じる事」から
きているかもしれません。

神社には「木と水」があります。

御神木から出る優しい空気感。
手水舎さんから流れる水。

昔の神社は正に「自然」を祀る事が多かった事からも
感じやすいのかもしれません。

磐座がお社になり
御神木を拝めるお社として神社が出来たり。

理由は様々ですが「自然」が深く関わる事が多いと思います。

だからこそ「神社の境内」って心地よい空気感が
流れて伝わってくるのだと思います。

ゆっくり神社の境内で時間を過ごすと
リフレッシュ出来る気がします。

隅々まで歩いてみる


神社の境内に入ると手水舎さんで
手を清めて
拝殿で参拝して帰る。

良くある光景です。

しかし、いつからかは分かりませんが
境内を散策するようになりました。

何となく心の趣くままに。
感じる方向に向かって歩くと不思議な気持ちになります。

感覚的には「ドキドキする」とか「鼓動がアツくなる」ような感じ。

よく行くのが拝殿の後ろにある「御本殿の近く」です。
拝殿は参拝する為にあるお社。

御本殿は「神様が御鎮まりになるお社。

ようするに「神様により近い場所」です。
なので無礼の無いよう心がけて近寄り
感謝を述べて御本殿を見る事にしています。

気持ちの問題かも知れませんが、心地よかったり
「力を頂ける」感じがします。

御本殿の他にも摂社・末社なども
ある事が多いので回るようにしています。

よく引き寄せられるのが「お稲荷さん事稲荷神社さん」です。
なんか不思議と相性が良いのか引きつけられます。

お稲荷さんをみて「怖そう」とか
思う方もいらっしゃるかも知れません。

私の場合は「優しいく包み込む雰囲気」を感じます。
人それぞれかもしれません。

自身に合ったお社を探してみるのも楽しいですよ。

人の役に立とうと思う


神社に上がるようになってから思う事は
「人の役に立とう」と思う事。

大それた事をする訳ではありません。

例えば参拝に行く途中の運転なら「道を譲ってあげる」とか
「運転を丁寧にする」とか些細な事。

せっかく神社に上がりに行くのだから
「手前からちゃんとしておきたい」と
勝手に思って行動しています。

何というか「心の余裕」にも繋がっている気がします。

お年寄りや子供には優しくするとか
手を貸してあげるとか。

大きな事をしようとは思いません。

ごく日常にある場面で「チョットの行動」に
変化が起きるようになりました。

時には自分が損をする事ももあるかもしれません。

しかし有名な著名人の方が「誰かの損は誰かの特になっている」と。
要するに「損して徳取れ」の考え方です。

徳を積むことで自身が洗練されて気持ちよいし
いつか自身にも返ってくると感じます。

見返りは求めません。
欲しいあまりの行動は「徳」にならないから。

逆の行為を行なえば「因果応報」で
自身に返ってくるものでもあります。

なので徳を積んで悪い事は全くないと思います。

最後に「神社は心のパワースポット」


いかがでしたか?
自身の考えや気持ちを書かせて頂きました。

最後に思うのは「神社は心のパワースポット」なんだと。

疲れたとき、嫌な事があったとき、迷ったとき、悲しいとき。
勿論、元気な時も、決意を報告したいとき。月回りでの参拝も。

感謝を込めてお詣りする事で
「全て自身に返ってくる」ものかも知れません。

神社にあがり手を合わせている行為が「自身を整える」
キッカケになり、様々な行動が取れるでしょう。

お読み頂きありがとうございました。

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