地道にコツコツ続ける、とにかく粘って我慢する、根付く・置かれた場所で咲く・郷に入れば郷に従え、石の上にも3年・・・
これが必要な時があります。
自分の立場や実力、状況によっては、これをやるべき時もあります。
こういうことが合っているという個性の人もいます。
ただ、これが暗転になることもあると私は思います。
自分が何をめざしているのか、自分は何をする人なのか、何を得ようとしているのか、ということを見据えることも大切だと私は思うのです。
そうしたことを見据えていないと、お願いされたから期待されたからご縁だからそこにあるからここにいるのだからと、ほとんど全てが他力本願になり、得るものがないのに執着してしまう。
それでいい人もいます。
まいっか、ここはこんなもんでしょ、だって教えられたことがこうなんだもん、無難でしょ問題ないでしょ安定第一でしょ、という考え方。
キツい言い方をすれば、大して「自分」がないんですね。
状況を読み解けていないということも。
それでいい人もいます。
それじゃダメなんです、そういうのじゃ嫌なんです、自分自身でめざしたことがありますっていう方は、大切な基準がありますよね。
これでいいのか、このままでいいのか、この先をどうするのか、と考えた上での方向転換(ピボット)。
そして、自分にとって不利益である場合は、断舎離とか精算とかお別れとか損切りをするということ。
頑張る・粘る・諦めない、ということと、しがみつく・執着するという感覚はちょっと違うんですね。
後者は、モトを取りたい、全然本意ではないのだが風が変わればツキもあるはずだと信じる、みたいなことで、たぶんそうよぎる時点でもう無理筋です。
損を承知でこれまでの投資や労力を精算する「損切り」。
しかしまあ、これはなかなかできないですよねー。くやしいですから。自分が損をするって確定するわけですからね。
でも、あえての損切りが必要なことってあると思うんです。
損切りのメリットは、ここで精算するので、損の確定と同時に利益の確定もできるということ。
ノウハウとかご縁とか学びとか、収支の利益ではない得るものがたくさんあったはずです。
それを得て、収支の損をここまでに確定させて、次へ行く。
ずるずる負け込むより精算する。
今、その勇気ある判断が必要が方が大勢いるはずです。
地域のため同業他社の仲間のためお世話になった方のため世間体のため、もしかするとこの先良い目が出るかもという期待のため。
自分に負のある執着よりも、自分自身とか大切な家族というミニマムな絆を大切にした仕切り直し出直し、出る一方の経費のカット、生活のダウンサイジング・・・
続けない勇気が必要な時があると、私は思います。
今、「変えられる時」「変える時」ですからね。
変えられない人はズルズルっといきやすい。
変えて行きましょう。
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