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ソネットと愛と口承性~『対訳 シェイクスピア詩集』

柴田稔彦 編(岩波文庫)

シェイクスピアの有名なソネット集から60編余り、加えて劇中歌や幾つかの物語詩から抜粋した詩篇を収録した詩集である。

恋愛詩を中心に美や死などのテーマが織り交ぜられた美しい韻文の清流のなかでも、やはり有名なソネット18番は目を引く。

君を夏の一日と比べてみようか?
だが君のほうがずっと美しく、もっと温和だ。
五月には強い風が可憐な花のつぼみを揺らすし
夏はあまりにも短いいのちしかない。
強い日差しが暑すぎることもあれば、
金色の光も絶えず雲にさえぎられる。
美しいものはすべていつかは廃れてゆくもの、
偶発事によって、また自然の変化によって、崩れてしまう。
しかし君という夏は永久にしおれることはなく、
君の今の輝きも色褪せることはない、
君が死の影の谷を歩むとは死神も吹聴できはしない、
時間を超えた詩行の中に君が生きるならば。
人が息づき、目が見えているかぎり、
この詩は生きつづけ、この詩によって君も命を永らえる。

圧倒的な清涼感とともに美しい夏の情景が立ち上がるが、そのなかに深い慈しみと物悲しさをたたえるまなざしが注がれる。

他のソネットでも随所に愛する人の美を奪い去っていく時の経過の残酷さが詠われているが、シェイクスピアにとってはまさに詩が、それに対する最後の防衛線のようだ。一瞬間のうちに無常の価値を放つ美を、詩のことばで捉え、その豊かな旋律の中で固定化することで、時空を超越した事物として命を持ち運ぶ。

念頭に置くべきは、ここでの「詩のことば」が含意する口誦性であると思う。シェイクスピアの時代、詩作は主に口頭で楽しまれるものであった。紙と活字のメディアが本格的に人口に膾炙するのは数世紀も後のことである。そしてなによりもまず彼自身の本職が劇作家であり、主要作品の殆どが戯曲台本に由来する。

シェイクスピアにあって、愛が持ち運ばれるのは音の連なりとしてであり、また自らの記憶と身体性に強く食い込んだ形においてである。愛する人の美しさが永に持ち運ばれるということは、ゆえにそれを伝えていく人々の生とぴったり伴走していく様として意識されている。

そういえば、『ストーナー』におけるストーナー少年の人生を変えたソネット73番も、(別の種類の愛かもしれないが)そうした愛が人から人へと伝播していく様を伝えるものだったのかもしれない。


さて、題に「対訳」とあるように、本書の詩篇は全ページで見開き左に英語原文、右に和訳が配された構成である。英文学史においてその多義性に脚光があたっているように、シェイクスピアの詩文はいわゆる標準的な英文としては全く読みこなせないほどにトリッキーで魔術的な語の選定と配列になっている。英語非ネイティブから見るともうしっちゃかめっちゃかなわけだけれど、訳文を見ながら音読してみると不思議とその流麗な抑揚とリズムが心地よく、魅入られてしまう。まさに「声に出して読みたい英語」。

これを優れた訳文と突き合わせながら堪能できるのも、本書の醍醐味である。こうして自ら読みながら耳で聞くことで、何かが自分の身体内へと伝播してきているのだろうか。そんな気もしないでもない。




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