読書メモ:『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』

うーん、まぁこういう本もありかな、と思ってしまうのは、「哲学はなんの役に立つか?」という使い古された問いに対して、世間一般の人々への満額回答が今もって与えられていないからだろう。


本書は、人生において直面するさまざまな問題や悩みについて、過去の偉大な哲学者たちが考えてきた思索のエッセンスを抽出しながら、解決のサポートをすることを目論んだ本である。「人前で緊張してしまう」人にはブッダの瞑想を、「毎日が楽しくない」人へは道元の身心脱落を、ポンポンと手渡していく。本書で登場する哲学者は有名人ばかりだが、その思想はそれぞれかなり難解で素人には読み解けない。著者はそれを適度に噛み砕いて抽象化し、苦難の尽きない人生をなんとかうまく生きていくアドバイスに仕立てることに力を注いでいる。

ただその試みはあまりうまく行っていない。全体的に各思想を単純化しすぎていたり、それぞれの悩みに沿って無理やり曲解していたりする部分は多く、また実際に悩みの解決に役立ちそうなアドバイスは少なかったりする。切実で切迫した悩みを持って本書を手にとった読者がいるなら、狐につままれたような気持ちになるかもしれない。なのだけれど、それでも本書を憎めないのは、哲学と世間の境界を取り巻く錯綜した状況ゆえである。

大学再編の折、衰退の一途にある人文学の苦境の中心にほど近い位置にいる哲学にも、「有益さ」という尺度でのパフォーマンスが求められる。むしろ有益さそれ自体の何であるかを問い直すのが哲学本来のあり方なのだが、パフォーマンスが意味するところが「性能」であれ「見世物」であれ、さしあたって社会から求められるのは分かりやすい効能である。そうしたニーズに答えるために、深遠で高貴なる知の遺産に対して雑駁な味付けを施して世に出すことは、本来的な学知探求の道からは外れるけれど、学としての生存闘争として見れば無理からぬ話ではある。し、本書の試みは、哲学を特権的で閉鎖的な知としてよりもむしろ、われわれが生きる生活の場面と地続きのものとして扱う懐の甘さ、ユルさを持つ。事実、低成長時代の思想的拠り所としてこうしたアクチュアルな哲学が世間に求められ始めている兆しはある。大阪経済大学の哲学者稲岡大志氏が「ポピュラー哲学」として概念化しているのは、こうした事態である。

哲学になんとなく興味を持っている読者にとって、本書は自身の興味のフックを探すための入門書としてだけでなく、哲学という極めて特殊な営みを我が身に引きつけて見ることを許してくれる。すでに哲学の門を叩いている学徒にとっては、あくまでこの学問のありうる型の一つとして、本書がどのように"perform"するかを見るのは意義があると思う。


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