見出し画像

「自分を好きと言ってくれるひとを嫌いにはなれないよね」ってお話。

#エッセイ
#好きになる力

ひとに「好き」を伝えることって、ものすごいパワーだなと思います。

どうがんばってもその人のことを嫌いになれなくなっちゃうんです。それどころか大抵の場合は好きになっちゃいます。

ちなみにここでいう「好き」っていうのは恋愛感情の好きとはまた別で、「ひととして好き」というニュアンスです。

現在、中途入社の方のトレーニングを担当しているのですが、今回新しく入社くださった方で、ひとに「好き」って伝えるのがすごく上手な人がいるんですね。

いまのご時世なので、研修もすべてオンライン環境で進んでいまして、一緒に学ぶメンバー同士が直接会えないという状況にあるんですが、「寂しい」とか「会いたい」っていう気持ちをすごくストレートにぶつけてくださるんですよ。

「すごく寂しい」
「みんなとてもかわいい」
「会ってハグしたいくらいに会いたい」

とまぁこんな感じのことを言葉だけじゃなく身振り手振りで、余すことなくこれでもかというほど表現してくれます。

もうなんかそれだけ「好き」を表現されたら、そりゃこっちも好きにならざるを得ないというか、、、

うん。好きになっちゃいますよね。

相手に全力で好きを伝えるって、ちょっとした元気玉くらいのものすごいパワーがあると実感しました。



どうすれば人を好きになることができるか?

とはいえ、好きじゃない人、もっといえば嫌いな人に「好き」を全力で伝えるってすごい難しいと思うんです。

だって好きじゃないんですから。どうしたって表現に不自然さが出てしまいます。

相手に余すことなく全力で好きを伝えるためには、本当に相手のことを好きになる必要があると思っていて、となると「どうやったら相手のことを好きになれるか?」ってところが鍵になりそうな気がするんですね。

これまでぼくは「価値観が違っても相手を理解するよう努める」とか「相手のいいところを見つける」とかそういうことを考えていて、たしかにそれも大事なことではあるんですが、その中途入社の方を見ているとどうもそういう感じじゃない気がしてきました。

もう「存在してくれていてありがとう」くらいのレベルで相手に好意を伝えることができているんです。

研修中は中途入社の方同士で深くコミュニケーションを取る機会ってそれほど作れていないんですけど、にもかかわらずその方は「好きだ」という気持ちを全開でアピールできています。

「相手のことを理解するよう努める」とか「相手のいいところを見つけるとか」そういう段階じゃなくて、もっと視点を上げて「性善説で対応する」ぐらいの考え方で人と接することができると、多くのひとに「好き」を全力で伝えることができそうです。



「嫌い」を減らして「好き」を増やす

相手に好きになってもらえるかどうかは相手が選ぶことなので、自分にどうこうできる問題ではありませんが、相手を好きになるかどうかは自分の意思でコントロールできます。

「嫌い」よりも「好き」が多い日常の方がぜったい楽しいはずなので、「性善説」で人をみていって、相手に対する「好き」を素直に全力でアピールできるようになると楽しいことが増えるかもしれないですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?