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走馬灯ムービーシアターで超大作をみて死んでゆける生き方を選びたい。

#日記
#エッセイ
#雑記


こんにちわ。

今回は、「死ぬときの走馬灯が、”死ぬほど面白い作品”になるように生きていきたいなー」と思った話をつらつらと書きます。

考えてることをとくに整理せずにそのままことばにするので、あまり中身がないかもしれません。暇なときにでも・・・。



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死を意識すると、時間をだいじに使える
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定期的に「ひとは必ず死ぬよね」みたいな本を読むようにしてまして、ぼくは時間の使い方が致命的にへたくそなので、ぼんやり生きていると「なにもしていない時間」の割合が増えがちです。

とりあえず YouTube みたりとか、なんとなくマンガを読んだりとかして、時間を潰しにかかります。

そういった時間がかならずしも悪いというわけではないんですが、割合的に増えすぎるとちょっともったいないなと思っていまして・・・。

時間をつぶすために生きてる生き方ってどうなの?みたいに感じちゃいます。

そんなときに「死」を実感するというか、強く意識できると、いま大事にすべきことというか、なにに時間を使えばいいかが見えてきやすくなるんです。

twitter や Instagram のタイムライン、YouTube を目的もなくただダラダラ見るのもありなんですが、かりに明日死んじゃうとしたらすごい後悔しそう。それだったら、好きな人たちと思い出をつくりに行ったほうがいいんじゃない?

とか、

残業しまくって仕事に熱中するのもいいけど、もしあと1年で死んじゃうとしたら、残業時間を減らす工夫をして、新しいことにチャレンジする時間とか、趣味に当ててみるともっとおもしろいんじゃない?

みたいな感じ。

スティーブ・ジョブズが、毎日鏡に向かって

「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?」

と問いかけていたように、「もし今日死ぬなら?半年勤に死ぬなら?1年後に死ぬなら?」と、死を意識しながら生きることができると「時間をつぶす生き方」から、「時間を活用する生き方」に切り替えやすくなります。



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走馬灯を超大作にする
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ひとによって、人生の成功の定義はさまざまですよね。

家庭を築いて家族を持つことが成功だという人もいれば、ひとりで好きなことをやり続ける方が成功だというひともいると思います。

議論の分かれるところですし、いろんな「成功」があっていいと思うんですが、個人的には「最高の走馬灯が見れる生き方」が「成功」のひとつの形では?と考えてまして・・・。

死のふちでみるといわれる走馬灯がすごい短かったら、さすがにちょっとさみしいじゃないですか・・・。

「あれ?もう終わり!? YouTube 広告のがまだ長いんですけどォォォ!!!!」

みたいな走馬灯はぜったいイヤ。

どこぞのハリウッド超大作顔負けの走馬灯をみたい。走馬灯スライドの枚数をできる限り増やして、走馬灯ムービーシアターで長編大作品を、ポップコーンとコーラセットでゆっくり眺めて死んでゆきたい。

ぼくにとっての人生の成功はこんなふうに定義付けられるかも、と考えています。



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走馬灯を超大作にするために
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走馬灯スライドを増やすには、「感情」がともなうイベントをできる限り増やすとよさそうです。

たとえば、誰か好きな人ができたとか、逆に失恋したとか、部活動で全国大会出るために血反吐はくぐらい猛練習したとか、その練習中にすごい怒られたとか、仕事ですごいプロジェクトに挑んだとか、起業したとか。

べつにそこまで大きいことじゃなくてもよくて、ひとりで Bar に入ったことなかったけど勇気出して入ってみたとか、そういうのでもいいんです。

とにかく「喜怒哀楽」を中心とした感情がともなうできごとを増やしていくことが大事。さらにいうなら、ともなう感情は強烈であればあるほどいい。

これまでを振り返ってみても、記憶に残ることはすべてそこに感情がのっかってるんですよね。

はじめて好きな人に告白したとき、「パターン青!パルス逆流!心臓、制御できませェェェんっ!!」ってくらいからだ中心臓バックバクだったこと、小学校のときに習っていた剣道で、練習に練習を重ねて県大会で優勝したこと、そのあとに食べた焼肉が死ぬほど美味しかったこと。

すべて最高の記憶になっています。

ネガティブな感情も「走馬灯スライドを増やす」という意味ではすごく大事で・・・。

仕事ではじめてマネジメント職にチャレンジしたときは、うまくいかなすぎて「なんでうまくいかないんだろう?」「どうやったらうまくいくんだろう?」と、ノートにあれやこれやと書き殴り、自分にたいする怒りや、うまくいかないことに対する不安みたいなのと、起きてから眠るまで戦ったりしてました。

また、大事なひととの別れは、ときに五臓六腑のすべて細胞を埋め尽くすほどの「哀」をもたらすこともありまして、あまりの衝撃に完全な思考停止状態になったりもしました。

でもそれはそれでよくて、こういう思い出は、ぜーんぶ脳の神経回路の末端にいたるまで、深く深く刻み込まれるんです。

感情をともなう経験を増やせた分だけ走馬灯スライドが追加され、走馬灯は最高の作品になるはず。楽しいことでもしんどいことでも、どんどん経験できるといいなと思います。



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チャレンジ、ひと、本気、そして勇気
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では、どうやって感情的な経験値を増やしていくか?と考えたとき、これまでの感情的な経験の共通点を探っていくと、「チャレンジ」「ひと」「本気」の3つの要素が大きかったのでは、と思っていまして・・・。

たとえば、はじめて自転車に乗ったとき、友達がいじめられているのを止めに入ったとき、仕事で新しいポジションに挑戦したときなど、チャレンジできたときっていうのは、記憶に残りやすい気がします。

また、脳みそにきざまれた記憶を振り返ると、そこにはかならずといっていいほど「ひと」がいます。

「なにをやったか?」「どこに行ったか?」「どんな経験をしたか?」

よりも、

「だれとやったか?」「だれと行ったか?」「だれと経験したか?」

の方が重要で、なんでもない登下校の道でも、最高の友達としりとりしたり歌を唄ったりしながら歩けば、脳に刻まれる思い出になる、といった感じです。

さらに、「本気で取り組んだかどうか」も重要な要素で、中途半端でなんとなくやったことは記憶に残りにくいのですが、本気でやったことは強く記憶に残ります。

「部活で全国大会に出る」とか「小説をかく」など、やってみたいなと思ったことはなんでも全力でやるとよさそうです。オリンピック選手とかは、この辺すごそうですね・・・。

ほかにも感情的な体験を増やすための要素はいくつかありそうですが、まずはこの3つの要素にフォーカスして日々を過ごしてみるといいかもしれません。

で、これらの3つの要素を取り入れる上で必要なのが「勇気」です。

勇気は車でいうところのガソリンみたいなもので、勇気が不足しているとどこへも動けません。なにもできない。

ぼく自身ちょっと勇気が少なめなヘタレなところがあるので、「勇気の心理学」といわれる「アドラー心理学」を深く学び、勇気不足を解消して、チャレンジ、ひと、本気の要素をどんどん取り入れてみます。



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と、いうわけで
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☑︎ 時間を「潰す」のではなく、死を意識することで「活用」する
☑︎ 最高の走馬灯が見れるように生きてゆく
☑︎ 走馬灯を増やすには、感情をともなうイベントを増やす
☑︎ 感情は「チャレンジ」「ひと」「本気」に紐づきやすい
☑︎ すべての元になるのは「勇気」である

最高のおもしろ走馬灯にしよっと。

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