#遍路03 異文化交流。日本とヨーロッパの文化の違いにびっくり。
お遍路さんには「お遍路マップ」と言われる専用の地図がある。
このマップ、ノートくらいのサイズで結構大きいので、毎回リュックから取り出して広げてみるのがちょっと大変。
なので今日まではずっとGoogleマップで次の寺を検索して移動していた。
そう、今日までは...。
というのも、今日の旅路ですごい遠回りさせられたので、明日からは絶対にお遍路マップを利用しようと心に固く誓ったのだ。
1kmとか2kmとかではない。
5km?10km?
ノンノンノン。
なんと20kmも遠回りになったのだ…。
12kmで到着するはずのお寺に、32kmかけて到着。
「あ、ここ通れないんで、迂回していきましょっか」ってGoogleガイドさんに案内された道のりがハーフマラソン並みの距離で絶望。
後できいたのだが、お遍路道に山道が含まれている場合、Googleマップではどうやら山道を経路に含むことができないらしい。
そのため、山道登れば12kmで着くのに、大幅な迂回路を案内され32kmになったというわけだ。
加えて、「あ、こっちかなぁ?」「やっぱりこっちかも、てへ」と、何度も何度も進路を変更するGoogleマップに同じ道を行ったり来たらさせられる羽目になり、、、
これまで何度も助けてもらってきたGoogleマップに不本意ながら殺意が芽生えてしまった、怒りのお遍路デイとなった。
そもそもお遍路マップ使ってないぼくが悪いのだけれど。ぐうの音もでないほどぼくが悪いし完全に逆恨みなのだけれど。
20kmもの迂回は、怒りと悔しさで何かに八つ当たりしたくなっちゃったのです。ごめんなさい許してください。
結局トータルでフルマラソンくらいの道のりを歩くことになったのだが、なんとか暗くなる前に宿につけたので、山中で迷うという最悪の事態は回避。
よかった。
しかし、遠回りも悪いことばかりではなく今日もいい出会いがあった。
山道をずーっとあるいていると、時折住んでる人がそう多くないであろう集落が出てくる。
「こんにちは」
軒先で日向ぼっこしていたおばあちゃんに挨拶をすると、
「はい、こんにちは。飲み物飲んでいくかい?」
とペットボトルの麦茶をいただいた。ありがたくいただき、おばあちゃんと一緒に軒先で休ませてもらいながら話をする。
「おばあちゃんは、ずっとここに住んでるんですか?」
「19歳からずーっとここに住んでいるよ」
年齢を聞くと、おばあちゃんは84歳。つまり65年間ずっとこの集落に住んでいるという。
「昔は乳牛を飼っていて、毎朝乳搾りをしたりして生計の足しにしていたんだよ。もちろんそれだけでは足りないから、じいさんは町に働きに行っていたけどね」
「それだけ長く同じところにいると、都会に出ていきたいなって思ったりしなかったですか?」
「3回家を飛び出したことがあったねー。。3回とも連れ戻されちゃって、家で泣いてたもんだった、、」
・・・なんともいえない気持ちになった。
今とは時代背景も価値観も違う。84歳なら戦争も経験しているだろうし、当時は同じ場所にずっといるのが当たり前だったのかもしれない。
自然豊かではあるけれど、刺激が多いとはいえないこの場所から3回飛び出し、3回とも連れ戻される。
どんな気持ちだったんだろう・・・。
おばあちゃんが飛び出した背景はきっといろいろあると思う。
ただ、連れ戻されて泣いたということは、辛いことがあってもその場所を離れる自由がなかったってことかもしれない。
仮にぼくがとある場所に連れて行かれて「ここで一生暮らしてね」って言われたら、決まりきった未来しか想像できなくてかなりつらくなってしまう。
もしかしたら当時はおばあちゃんも同じ気持ちだったのかもしれない。
一方で、今のおばあちゃんの笑顔はとても幸せそうに見えた。
子供を3人育て上げ、すでにみんな出ていったという。おじいちゃんと2人、今なお同じ集落で暮らすおばあちゃん。
一時は飛び出したくなるほどつらかった場所で、あれだけチャーミングな笑顔で今を生きていられるのは、いろんな苦労を受け入れながら前向きに生き続けてきたからなのかもしれない。
『時には泣いてもいいんだよ、前向きに生きてればきっとなんとかなるさ』
おばあちゃんの笑顔から、勝手にそんなメッセージを受け取った。
宿についたところに話を戻す。
今日の宿は、一泊2食付き。普段は節約のため素泊まりなのだが、この辺は山の中ゆえコンビニがない。そのため宿でご飯をいただくことにしたのだが、頼んでほんとよかった。
めちゃくちゃに豪華だったのだ。
しかもなんと昨日のイケオジと同じ宿で、イケオジからビールを奢ってもらった。
「生まれてきた時からイケオジなのかな?」という疑問を、黄金に輝く 4/5 の上に乗る滑らかでクリーミーな 1/5 の泡とともに飲み込む。
うますぎる、、、
この旨さは、きっと遠回りして長い道のりを歩いたからこそ味わえたもので、そう考えたらGoogleに感謝せねばなるまい。
ありがとう、Googleさん。
宿には、オランダから来たカップルと、フランスから来た20代くらいに見える若い男性がいて、ともに食卓を囲み Google 翻訳を使って会話を楽しんだ。
海外と日本の文化の違いを質問してみたのだが、興味深い話がいっぱいだった。ちなみにオランダとフランスは、割と文化が似ているらしく、回答はほぼ同じ。
海外では友達とも仕事仲間とも飲みに行くものの、完全に分けて考えているという。仕事仲間との飲み会よりも、友達との飲み会の方がずっと楽しいらしい。仕事仲間との飲み会は、あくまで付き合い的な意味合いなのだろうか。
では友達をどこで作るの?と聞くと、学生時代からの友人がほとんど。仕事仲間が友達になることはかなり稀、ということだった。
「そうなんですか??」とぼくが驚いていると、目の前の定年退職してお遍路さん回ってるおじちゃんがいう。
「それは日本でもそうかもね。定年退職して、仕事辞めたら、職場の人とは連絡とらないよ」
そうなのか…。
これまで3つの職場を経験させてもらったが、ありがたいことに仕事を辞めてもそれぞれの職場のつながりでいまだに仲良くしてくれてる仲間が多くいる。
定年退職してもずっと友達でいてもらえるよう、今度ビールでもご馳走させてもらうことにしよう。
「お遍路さんを歩いてる日本人がほとんどいないのはなぜなんですか?」
そう質問されたので、「歩きお遍路するとかなりまとまった休みが必要になるから、日本人はなかなか歩けないんだと思います」と答えた。
聞くと彼らは仕事を辞めておらず、3ヶ月くらいのまとまった期間で休みを取ったという。
「君たちが頑張って積極的に休んで、日本を変えていってほしい」
イケオジに言われた。
日本だと、仕事をしながら長期で休みを取るという文化があまりないのは確かだ。
有給はあるものの、基本的には「働き続ける」というのがメインストリートで、そこから少し外れて長期で休みを取ると異分子扱いされる傾向にある。
疲れた時にはゆっくり休めたらいいのに、と思う。
少し前に書いた通り、メインストリートから外れた時の目に見えないプレッシャーは凄まじい。
そんな仕事の仕方ができるようになれば、日本もきっともっとハッピーに生きられる人が増えるような気がした。
長くなったので、最後に一つ印象に残った会話を書いて終わろうと思う。
フランス人の彼に、お遍路さんをしている理由を聞くと、仏教を学ぶためだという。
フランスでは、若い世代ほど無神論者が増えているらしく、キリスト教を信じているみたいな人はかなり減っているらしい。
なぜ仏教を学ぶのか?と聞くと、彼はこう答えてくれた。
「キリスト教はあまり異文化を受け入れず、排他的な一面がある。対して仏教はロジカルで、心を持っているのが私たちであり、私たちがより良くなる唯一の主体であるから」
※Google翻訳をずっと使ってるわけではなかったので、もしかしたら少しずれがあるかもです
コテンラジオという歴史番組が好きで、釈迦をテーマにした話を聞いたことがあるが、確かに仏教はものすごいロジカルらしい。
生とは苦であり、その苦は執着から生まれ、執着を手放すことで悟りを開く、のような、因果関係がちゃんとある。
神様がどうとか、そういう漠然とした話は聞いたことがない。
そういう考えが、フランスのメディアで取り上げられ、仏教を勉強することに興味を持ったとのことだった。
彼の話を聞いて、明日からお遍路旅を続けるのがさらに楽しみになった。ぼくもこれをいい機会として、仏教を学んだみよう。
ここまで読んでくださってありがとうございました。今日もいい1日でした。
おやすみなさい。
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