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「自尊心と他尊心を常に同じ高さで持つ」自分を大切にできなかったこれまでに終止符。

喜多川泰さんの著書「賢者の書」を読みました。

家族とのコミュニケーションはうまくいかない、職場では今にも解雇されそうな50代のアレックス。

仕事を辞めようにも家のローンは残っているし、転職先も見つからない。

苦悩する日々を送るなか、あることがきっかけで、子供の頃3年間だけ住んでいたドイツへ旅にでます。

公園のベンチに座っていると、アレックスの前にひとりの少年が現れ、アレックスに尋ねました。

「あなたが最後の賢者ですか?」

少年は「賢者の書」という不思議な本を手に持ち、これまで8人の賢者と出会う旅をしてきたといいます。

賢者の書には、8人の賢者が少年に伝えたメッセージが記されており、賢者の書を手に取ったアレックスは、人生を大きく変えられることに…

・・・的な物語です。

9人の賢者の教えがすごい胸に刺さりまして、今のタイミングでこの本が読めて、めちゃくちゃ良かったです。

本のプレゼントって相手に読まなきゃならないっていうプレッシャーを与えちゃうようでちょっと遠慮がちだったんですが、

余計なお世話パワーを全開にして、10人目の賢者として大切な友人たちに賢者の書を配り回ることにします。

とまぁぼくにとってそれくらいの良書である喜多川作品に心を奪われ、最近は暇さえあればInstagram見てるか喜多川さんの本読んでるかなんですが、内容があまりにも濃すぎて一回読んだだけでは消化しきません。

横浜家系ラーメン、油多め、ニンニクましましみたいな感じです。濃すぎて胃もたれ気味。

でも本当に、一生涯にわたって大事にしたい内容が多いので、noteでアウトプットしがてら少しずつ消化していきます。

というわけで今回は、賢者が少年に教えた内容の一つ、「自尊心と他尊心を常に同じ高さで持つ」について考えてみますね。

ーーー ✂︎ ーーー

母ちゃんの胎内に「自尊心」を忘れて生まれてたんじゃねぇかっていうくらい。ぼくは自尊心が低めです。

卑下している、という表現の方が近いかもしれません。

ちょっとネガティブな表現になってしまって申し訳ないんですが、自分のことが好きになれないどころか、むしろ嫌っているフシがありまして・・・。

自分を大事にしてくれた人たちを蔑ろにした過去の記憶が脳の奥深くに刻み込まれていて、なんだかずっと申し訳ない気持ちに苛まれてしまうんですよね。

そんなこと気にしていたって過去の過ちはもうどうしようもないし、これからの未来がよくなることはないのに。

あほちんです。

トラウマと言ったらおこがましい気もするんですけど、過去のそんな経験や他の要素も相まって、過剰に他尊心を抱きがちな部分があります。

へりくだりがち、という表現が近いかもしれません。

自分を卑下し、他人にへりくだる・・・。

高低差すごすぎて耳キーンってなるやつです。

ご存知の通り、ひとを大事にするっていうのとへりくだるというのは全然違いますよね。へりくだって大事にしているのは、むしろ自分の方です。

嫌われる勇気にあった「ひとの目を気にしない」とか、毎朝鏡に向かって「お前最高だよ」的なことばをいうとか、なんやかんや試してみてはきたものの、どうにもうまく心のバランスをとれずにこれまで生きてきました。

寝ぼけ眼の目ヤニ顔のやつに「最高だよ」なんて言われても、「ウソつけ!」としか思えませんでした…。

そんなぼくに刺さったのが、今回の本にでてきた、とある賢者のことばです。

ーーー ✂︎ ーーー

賢者曰く、周りにいるすべての他人を、これ以上できないほど尊重し、尊貴する心を他尊心と呼び、自尊心と他尊心は常に同じ高さじゃなきゃいけないそうです。

個人的にこれはなんだかすごいしっくりきまして・・・。

いつも僕の心の根底にあるのは、「嫌なことがあっても自分が我慢すればいい」というマインド。

納得いかなかったり、腹が立ったり、ムカついたりしても、自分が我慢すればいいや、みたいに捉える思考の癖があるんですが、これってぜんぜん自分を大事にできていなくて、ときにすごいしんどくなっちゃうんですよね。

どんなときも自分が我慢してるとそれが癖になっちゃって、自己肯定感がどんどん下がってしまいます。

結果として、他人にへりくだってしまったり、自分を卑下したりする。

でも、他人を大事にするのと同じだけ自分を大事にするっていうのは、なんだかぼくにもできそうな気がしました。

というか、それができてはじめて、本当に自分も他人も大事にできるんじゃないかと。自分を卑下したり、他人にへりくだったりするのは、だれも大事にしていないといえるので。

賢者曰く、これにはポイントがあって、他尊心は一部の人間だけではなく、すべての人間に対して高める必要があるみたいです。

最近回転寿司でいたずらを働き、世間をにぎわせている彼らに対しても、サウナ室に入る前にボリュームのつまみを無くしてしまったサウナーにも、電話で暴言吐くお客さんにも、

すべての人に尊重・尊敬の念を持って接する。

たぶん、尊重・尊敬を取捨選択してしまうと、結果として自分も取捨選択の枠に入ってしまい、結果として自尊心が下がってしまうからなのかも。

すべての人に敬意を持って接するなら、どんな場合でも自分に対して敬意を持つ選択しかなくなりますし、ね。

とはいえ、尊重・尊敬の念を持って接することと、迷惑をかけている人に注意することは矛盾しないはずです。

むしろ、フィードバックすべきときにはフィードバックする人の方が尊重・尊敬の念を持っている、とすらいえそう。

「サウナで静かに物思いに耽る、かっこいいあなたがみたいです」

的なフィードバックができる賢者になろうっと。笑

賢者の教えを胸に、すべての人に対して尊敬の念を持って接し、おなじだけ自分を尊敬しようと思いました。

ーーー ✂︎ ーーー

というわけで

喜多川さんの「賢者の書」で学んだ、「自尊心と他尊心を常に同じ高さで持つという意識が持てれば、これまで以上に自分を大切にできるかも」という話でした。

読んでくださったみなさまのおかげで、ぼくの胃袋へぱんぱんに詰め込まれた横浜家系ラーメン音一部が少し消化されたように思います。

これを読んでくれたあなたも、自分と向き合ってnoteを書いた自分も好きです。

・・・はい!これで賢者への道、第一歩ー!

ふっふっふ。

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