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野村證券 新人歴史記録を塗り替えた男の就活物語
こんにちは。FinTech企業(株)お金のデザイン並びに(株)400Fで代表をしている中村仁です。
タイトルにある通り僕は野村證券に新卒で入社して、1年目で213件の新規開拓を達成しました。これは当時野村證券の歴史記録でした。なおその歴史記録を塗り替えられたのは2年後で、抜いたのは同じ支店の自分の教え子でした(こちらはまた今後発信していきます)。
Twitterで色々と発信しているとそもそも何故野村證券に入社したのか?と多く質問をいただきます。なのでその背景を書いてみました。
就活中の方や、転職を検討している方などにご笑覧いただければと思います。ノウハウ系を期待しているなら全く異なるのでスルーしてください。内容は自伝みたいな感じです。なぜ自伝風なのかは最後の項目に書いています。
1. 学生生活では何をしていたのか
僕は勉強もスポーツも中途半端な中学生でした。転勤族の親の影響で各地を転々としており、その影響で幼なじみなどもおらず、淡々と人生を過ごしていたと思います。そんな中学時代に、母校となる金光大阪高等学校のサッカー部が初の全国大会出場する姿を見て感動し、「この学校に入りたい!」と心に誓いました。
その頃僕は塾に通っており模試判定では地区でそれなりの高校に行けるレベルだったのですが、偏差値を20以上下げて母校に入学しました。母校では、自分の1学年上と1学年下がサッカーの全国大会に出場なんかもしていました。部員総数は120名以上おり、毎年推薦を確か20名くらい取っていました(入学後に知る)。当時の僕は「おいおいサッカーって11人のスポーツだぞ。最初っから推薦組だけでレギュラー埋まるやんw」とか思いました。
ところで、塾に通っている中で上記の学校進学を選択したら父親は「面白いな!テメーの人生は自分で責任とれ!ガハハ!」的な感じで応援してくれました...
そんな風に入学した高校ではサッカーに明け暮れていたのですが、偏差値を下げて入ったので3年間通した評定平均は4.9/5.0で、生徒会会長兼文化祭実行委員長などもやっていました。その結果、特に受験勉強をすることもなくAO入試で関西大学に入学しました。
高校時代にサッカーで食べていくのは絶望的だと悟った僕はスポーツジャーナリストになりたいと思って社会学部マスコミュニケーション学科に入学しましたが、ジャーナリズムのゼミ以外で特に何かをするわけでもなくサークル(サッカー)とバイトに勤しんでいました。
そん日が過ぎ去っていく中で、就職を意識する時がきました。
2. 就活を目前に何を思ったのか
そんな僕がフツーの学生生活を送っていた僕が唯一特殊だったと思うのは、
- 両親が高校2年の時に米国赴任になりそれ以来一人暮らし
- 両親を訪ねて米国旅行をしてニューヨークのタイムズスクエアで感動
- それ以来毎年年末年始は、ニューヨークで過ごしタイムズスクエアの目の前で(TVで有名なやつ!)カウントダウン
- 旅行をするために1年間かけてお金をためて年末年始で全て散財する
みたいなニューヨークへの強烈な憧れを持っている人間でした(後々のキャリアに大きな影響を及ぼします)
就職活動を周りがする中で自分が何者でもないことに漠然と不安になり、ふと生協に立ち寄ると留学の案内があったので、意味不明ですが「そうだ留学にいこう」と突然思い立ちました(京都に行くのとはレベルが違う)。その頃の僕のTOIECの成績は400点台でまともに英語も話せる感じではありません。でもなぜか「行こう」と決意しました。
もちろんお金なんてないので両親に相談したら「英語を学習するには3年は必要と言われる。それを1年でやるんだから人の3倍以上努力しろ」と親父に言われて送り出されました。
ところで、親父はむちゃ怖いです。サラリーパーソンなのですが、企業のラグビー部を実質立ち上げ社会人1部リーグにまで引き上げ、自らニュージーランドに行ってオールブラックスのメンバーを3人連れてきたりしていました...w 他にも8年間赤字だった子会社社長に赴任してその企業を1年で黒字転換させたり、2B企業なのに会社命令で2C事業を立ち上げてグロースさせるなどのサラリーパーソンとは思えない個性を発揮しています...
留学先はボストンで語学学校に入学しました。語学学校あるあるですが、通常は日本人コミュニティみたいなものがあります。ただし、両親との誓いを守るべく一切の日本語を断ち、ひたすら勉強をしました。語学留学したことのある人ならわかると思いますが、語学学校で学ぶことは必死にやればそんなに大したことはないです。ほぼ最底辺クラスからの入学でしたが必死に勉強をして、飛び級飛び級で一気に最上位のクラスに行きました。なお、TOIECは900点台になりました。
こうなると語学学校に通うのが簡単すぎるという中で、現地の知人経由でBoston UniversityのMBA夜間コースがあることを知り、単位取得のためにmanagementクラスを受講しました。
この時、初めて僕はmanagementなるものを学びその面白さに取り憑かれました。なお授業はめちゃ大変でした。現地の、しかも社会人が受講している授業なのでついていくのが必死。語学力も知識も。無事にテストはパスしましたが、本当によく勉強した。。。
3. 実際の就職活動はどのようにスタートしたか
帰国後、僕はこれまでほぼ入ったことがない大学の図書館に毎日通い経営や経済などの本をかたっぱしから読み漁ってワクワクしていました。
そしていよいよ就職活動が始まります。単純な僕は、managementと言えば「外資系コンサルだろ!」と無知のまま、マッキンゼーやBCGを受けましたが当たり前ですが木っ端微塵に砕け散りましたw
新卒で外資系コンサルに入社する人は本当にやばいくらいに優秀だし、学生時代の経験が天と地の差ほどあるんだな、と思っています。今でも「もっと勉強しておけばよかった」「学生時代に色々と活動しておけばよかった」とか思うことがあります。
さて、そんな僕ですがやはりmanagementを学んだワクワクを捨てきれずに、経営に近い立場で働きたいと思いまずはベンチャー企業を受けました。
そちらの方は割合とスムーズに進んで色々と内定をもらったのですが、その中でも最も行きたいと思ったのがサイバーエージェントでした。僕が就職活動をしたのは2003-2004年ですが、当時はまだベンチャー企業(今もそういうマインドセットだと思いますが)で、大阪採用はそれほど人数もおらず「ここなら色々とチャレンジできそうだ!」と思いました。ネット広告云々よりも会社の雰囲気ややりがいがありそうなところに強く魅力を感じました。
4. なぜそのままベンチャーに入社しなかったのか?
しかし、当時は今ほどベンチャーに対する理解とか情報は共有されていなかったと思います。僕もなんだかんだそんな一人だったと思うし周りも「ベンチャー?」みたいな感じでした。
その扱いが悔しくて、「じゃあ、大手も全部内定もらって、それをあえて蹴ってベンチャーに行ってやるよ!」と思い、就職ランキング上位の企業を片っ端から受けていきました。なお、業界研究とか企業訪問、OB訪問はほとんどやっていないです。当時は就職氷河期が溶けて就職バブル突入時期だったこともあり、すごく失礼な話なのですがランキング上位企業20社近くから内定をもらいました。
なんでこんなに内定をもらえたかと言うと、以下のように分析できるのかな、と思います。多分、現在就職活動をされている学生さんには全く役に立たないと思います...
- そもそも落ちてもベンチャーに行く気が強いので、筆記にしろ面接にしろ全くビビることがなく堂々としていた
- そのようなモチベーションなので強気姿勢を維持していた。「会社が俺を選ぶのではなく、俺が会社を選ぶ」的な。なので、必然と質問をどんどんとしていた、選びたいので
- 図書館通いによってあらゆる本を読むようになり、その中には就職関連の本もあった。当時は海外の就職面接でフェルミ推定が出るといった本が流行っていましたが、それらも全部読んでいました(某HR系最大手の面接官がドヤ顔で本に書いている内容を面接試験で出してきたときは吹きそうになりました。面接官なんてそんなもん)。なので、いろんな質問に対してスラスラと回答できるようになっていた
ちなみに、余談ではありますが(今は知らないですが)野村證券では面接官は現役の営業がやります。僕も何回かやったことあるのですが、1日に何人も面接します。面接後すぐに点数を付けますが、時間の経過とともにどんな人が良いのかとか曖昧になったりみんな同じような感じみ見えたりします。なので、一瞬の出会いの中でどれだけ個性を発揮できるか、というのは大事だと思います。
そんなこんなでおかげさまで内定をたくさんもらいました。では、なぜ野村證券を受けたのか。
5. 野村證券との出会い
全く覚えていないです 苦笑
正直、野村證券が何をしているところなのか、みん就とかで色々と言われているような野村證券の都市伝説などもほとんど知りませんでした 苦笑
もちろん野村證券のOB訪問とかも一切やっていないです。上記にもある通り野村證券を受けたのは「就職ランキングで上位だったから」というだけです
そんな野村證券の面接で、偉そうな方との面接(当時の人事部長)で「野村證券は第一候補ですか?」と質問され、「いえ、第一候補群ですが第一候補とは言えないです」としれっと言っていましたw
その晩、後日就職掲示板を見ると「野村證券の面接で握手をしたらその場で内定をもらえた!」的な投稿が多数あり、「あー僕は落ちたのだな」と思っていました
その後、1ヶ月くらい最終的にはサイバーエージェントかなーと悩んでいました。すると突然携帯電話の着信があり、取ってみると野村證券の方でした。
「もう決めたの?まだ悩んでいるの?もう一度こない?」といきなり再面接のオファーをもらいました。
多分、採用人数が足りなかったので穴埋めのために僕に電話をしてきたのだと思いますw
6. 人事部長と話をしたこと
当時大阪の大学にいた僕は上京をして野村證券の日本橋ビル(通称:軍艦ビル)の近くの野村證券ビルを訪問して、なんと人事部長と1on1で現状などについて話をしました。
当時の僕は本当に偉そうだったので、「僕は将来経営者になりたいんです。そのためのキャリアを歩みたいと思っています」みたいなことを言いました。その時の当時の人事部長から言われた言葉が僕の胸に刺さりその場で野村證券に入社しました。
通常上記のような偉そうな言葉をいうと、企業ごとに以下のような返答がありました
ベンチャー企業「君ならできるよ!ぜひ若いうちにチャンスを掴むためにうちでやろう!」
大手企業「みんなで一緒にやっていこう!みんなで一緒に成長していこう!」
このような言葉をいただくのは本当に素晴らしいことなのですが、当時の野村證券人事部長の言葉は学生の僕には強烈でした
「あのさあ、そんなに言うだったらやってみろよ。証明してみろよ。経営者に対峙するなんて甘くないよ。そんなことも分からずに経営者になんかなれるわけないだろ」的な説教をくらいましたw
常に強気姿勢を貫いていた僕に対して、このような言葉を投げてくる人は当時はほぼおらず衝撃的であったのと同時に、「は?だったらやってやるよ」という短絡的な思考回路によってその場で人事部長と握手をしてしまい、他の企業への断りの電話も入れました。まあ、まんまと掌の中で転がされたわけです。ええ。
そんな意味不明な感じで僕は野村證券への入社を決めました。ただ、僕はコミットしたら強い人間なので、一度決心したら特に振り返ることもなく野村證券でキャリアをスタートさせる強い覚悟を決めたのでした。
なお、野村證券の数々の逸話は内定をもらった後とかに読んだのですが、「ふーん、じゃあそんな中でもやり切ってやるか」程度に思っていたので、あまり気にもしませんでした。。。もしかしたら当時から頭がおかしかったのかもしれません。
以上が僕が野村證券に入社した経緯です。
7. 今だったらどの企業に入るか
この質問は多く受けます。当時と今の僕とでは経験も考え方も全く違うので、当時の気持ちになって考えることはできません。なので、今の僕ならどこに入るかと言われると、「人×テクノロジー」を推進している企業を選びます。
今後テクノロジーの発展はますます加速すると思いますが、その姿はアフターデジタルの世界観が僕は一番しっくりきています。
僕は理系でもないですし、プログラミング等が得意なわけでもありません。(FinTech企業に入社したのでプログラミングのオンライン講座は一通り受講しました。AIのやつとかも)
そうなったときにテクノロジーに偏りすぎている会社では僕の力は発揮されないと思っています。かといって人にしかフォーカスを当てていない会社は今後淘汰されると思います。
また、僕の場合学生の頃に何か特別なことをしてきたわけでもないので、専門性に乏しい。そのため、型を教えてくれるような企業であることが良いと考えています。そして、やはり若いうちからいろいろと学ぶチャンスが得られそうなところ、を選ぶと思います。
そういった意味で、業界的にはB2B SaaS企業が第一候補になると思います。SmartHRさんは見聞きしていますと、ビジネスモデルがクリアで各チームの役割なども可視化されたりしており、何も知らない僕が飛び込んだとしても学習機会が豊富で素晴らしい環境で新人時代を過ごせるのではないか?と勝手に想像しています。
マネーフォワードさんも金融領域で素晴らしい企業ですし、創業者社長の辻さんや創業メンバーの瀧さん、その他の多くの関係者のことを存じ上げているのでマネーフォワードさんで新人として勤務するのは素晴らしい体験になるだろうなと思っています。
他にも色々と素晴らしいB2B SaaSの企業があり、それらの企業を中心に活動をすると思います。
なんだかんだ、結局今もベンチャー企業に転職していますし、オススメの企業もベンチャー企業であるので、僕は元々ベンチャー気質な人間なのかもしれません。
8. 他者の思考回路を知るには自伝が一番
つらつらと自伝的な話になりました。このような書き方にしたのも理由があります。
僕は「人間がいかにして意思決定を行うのか」ということに強い関心があります。人間の意思決定って直感的に決めたものとかでも過去の経験とかに左右されますよね。それと同じで、僕が何かの選択肢を選ぶということは僕の人生の延長線上での意思決定でもあると思います。これまで体験したこと、出会った人々、読んできた本などで僕の意思決定回路は出来上がっています。
そんな中で、僕が何か意思決定したことをロジカルに綺麗にまとめても、表面的なことだけであり何の参考にもならないと思っています(少なくとも僕はそのように思ってしまう人間です)。
なので、僕がどんな感じで就職活動をやってきたのかを取り止めもない感じではありますが書きました。あんまり参考にならないと思いますが、最後までご覧いただきありがとうございました。
今後、いろいろなテーマでnoteを書いていこうかと思っています。
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