《司会、入ります!》 第6話
司会、入ります! 《第6話/第一部 完》
「笑わせんじゃないわよ──ッ!」
頭上から怒号を落とされ、美咲はキャインッと首を竦めた。
「なぁーにが、『天の川さえものともしない、強い愛情で結ばれたふたり』よ! そんな演歌なセリフ、一体どこから引っぱりだしてきたの! 天の川を渡らせるどころか、天城越えさせようっての?」
MCスピカを背負って立つプロ司会者、在原泉大先生がバンッと机に手を突き、ズイッと顔を寄せてきた。どこから見ても鬼の形相。逃げたいのは山々だが、スピカのオフィスが狭すぎて下がるスペースが一ミリもない。
パイプイスの背もたれに背中をぺったり貼りつけて、美咲は懸命に説明した。
「どこから引っぱり……だしたのかと申しますと、あの、えー……」
「『あの〜』や『え〜』は禁句ッ! 意味のない音声は、口にしない!」
ヒュンッとムチが……じゃなくて注意が飛んできて、美咲はハイッ! と背筋を伸ばした。そして、「パーティー本番が七月七日の七夕で、新郎新婦がわざわざその日をお選びになったわけですから、お二人のご意向を汲んで、随所に七夕のコメントを入れて差しあげたいと考えた次第です」と精一杯の冷静さを引っぱりだして弁明したのに。
「松乃さん、いつ二人の意向を汲んだの? まだ一度も会っていないのに」
「でも、あの、お日にちが……」
「お日にちが、なに?」
弓なりの美しい眉が、クイッと上がる。見なかったふりで目を逸らし、えー……と意味のない音声で思考の間を取りそうになり、ここはひとまず口を閉じる。そして腿の上に両手を揃え、滑舌を意識して、笑顔キープで説明した。
「この方向性は、避けたほうが賢明ですか?」
「自分では、いいと思ってるわけ? 七夕になぞらえたコメントをポンポン挟めば、ふたりが喜ぶと思うわけ?」
「……と言いますか、ふたりを阻む天の川を逆手にとって、新郎と新婦の愛の強さを表現したいと思いまして……きゃっ!」
キッと睨まれた瞬間、美咲は反射的に両腕で顔をガードした。
「……なによ」
「いえ、なにも」
在原の柳眉がムチに見えて……などと言おうものなら、本当にムチで打たれかねない。
と、コンコンとノックの音がした。「やっほー」と明るく手を振って登場したのは、スピカの敏腕マネージャー・七実チカ。今日もタンクトップとショートパンツで、誰よりも早い初夏の装いだ。
「賑やかだねー。今日ってレッスンじゃなくて、ケンカの日だった?」
軽くステップしてシャドウパンチを繰りだすセンスに、美咲は思わずフフッと笑った。怒髪天だった在原も、「ケンカじゃないから」と苦笑して、イスに腰を落ちつける。
その在原と美咲の間に、チカがA4サイズのコピー紙をスッと置く。
「これ、お客様の詳細」
「詳細……?」
「こんな個人情報、普通は事前に渡してもらえないわよ? チカに感謝しなさい」
「ま、美咲ちゃんのデビュー戦だし。今回だけ特別ね。……ホテル・カリブルヌスにて、七月七日十時半挙式、十二時披露宴スタート、井上・中村ご両家のオーダーシート」
言われて、美咲はオーダーシートに飛びついた。先に目を通していたチカが、「新婦の誕生日、見てみ」と顎を振る。言われるままに芳名の下段、生年月日に目を落とせば。
「……あ」
新婦・中村陽菜さんの誕生日は────七月七日。
「七夕が……誕生日?」
「そ。今回美咲ちゃんが担当する寿は、七夕にこだわっているわけじゃないの。新婦の誕生日が、たまたま七夕だったわけ。七夕は強調しなくていいって。これは、コーディーネーターがふたりに確認済みよ」
ここ見てみぃ、とチカに苦笑されて備考欄の記述を目で追えば、『遠距離恋愛でもなく、会えないわけでもないため、七夕コメントは控えめでお願いします』と、わざわざ注意書きされている。
ザーッと引いた血の気が逆流し、頬がカッカと熱く火照る。よ、よかった。事前情報も知らずに打ち合わせに臨んで、調子に乗って七夕コメントを連発でもしていたら、大ひんしゅくを買うところだった。
「ここ数年、七夕挙式のカップルは、大抵こんな注釈を付けてくるわね。天の川によって分かたれる運命みたいなのはイヤだとか。織り姫と彦星は婚礼に不向きなカップルだけど、なによりこの日にちなら、絶対に記念日を忘れない。そのうえ夏のウェディングはお値打ち価格。だから七月七日に挙げたいっていうカップルは結構多いの」
「そのあたりのウェディング事情は、知っておいて損はないよ」
チカに笑われて、美咲は素直に頷いた。
「夏でも七夕でも気にしない、司会が新人でも問題ないっていう寿だから、案外フランクな感じかもね。デビュー戦には、ありがたいかも」
はいと頷き、息を吐いてから、ひとつ大きく深呼吸。
「ありがたいです。あと、ものすごく勉強になります」
「松乃さんに宿題を出したとき、夏のコメントを考えておきないと伝えたわよね。その中で出てきたネタなら、禁句とは言わない。ただし、冒頭にでもサラッと一回言えば充分。七夕に固執しないよう気をつけてね」
だからね、と在原が机の上で両の指を組む。
「なにかコメントを考えておきなさいとは言ったけれど、思い込みや拘りはNGだからね、松乃さん。幅広く、種類豊富に、多方向からの視点を大切にね」
はい、と返した声が、思いのほか掠れてしまった。
「……落ちこんだ?」
在原に心配され、いえ、と美咲は顔を起こした。そうではなく……。
喉が渇いたときに飲む水が美味しいように、いつもより心地よく体に浸透するように、いまの自分に必要な成分や栄養がゆっくりと染み渡って、満たされて、なんだか胸がいっぱいになったのだ。
学ぶって、いいなぁ。成長できるっていいなぁ、と。
さっきまでの自分より、ちょっと伸びた感じが嬉しいなぁ、と。
「相談できる人がいるって、幸せだなぁ……と思って」
中途半端な口調になってしまったけれど、在原のチムチは飛んでこなかった。だから美咲は、安心して言葉に気持ちをのせた。
「自分ひとりじゃ不安なことも、正しいと思いこんでいたことも、信頼する人に話すことで解消されたり、軌道を修正してもらえたり、多面的な思考に気づかせてもらえたりするのって、すごく恵まれた環境だなって……。意見を出しあって、みんなでたくさん考えて、いいものを作ろうとするこの時間が嬉しくて、わくわくして、なんだか、とてもいいなぁ……って思いました」
在原とチカが微笑んでいる。彼女たちと同じように、いま、自分も微笑んでいる。
あれほど本番を迎えるのが不安だったのに、いまは少し楽しみだ。
頭の中で、美咲は早くも想像を巡らせる。七月七日の披露宴にご参列の皆様が、新郎新婦と両家を囲み、笑顔で歓談している場面を。
滞りなく順調に進行しました、ご両家に喜んでいただけました……と、在原とチカと、そして川島とマリアにも、笑顔で報告する自分が、いまはうっすらイメージできる。
このイメージを現実にしたい。お世話になった人たちと、心からの笑顔を分かちあいたい。そしてなにより、美咲に披露宴のマイクを委ねてくれる新郎新婦に、精いっぱい、全力で尽くしたい。
頷き返してくれたのは、在原だ。よし、と声を弾ませたのはチカ。
「美咲ちゃん。あたし、いま確信した」
「確信? なにをですか?」
「あなたなら、きっとできる」
チカの力強い笑顔に、感情が大きく揺さぶられる。
嬉しいのに泣きたくなる。泣きたくなるほど嬉しい。すごく嬉しい!
チカに感謝を伝えるより早く、在原が「同感」と目を細める。
「私もチカに賛同する。松乃さんなら大丈夫。だっていま、目が輝いてるもの。オドオドした感じがどこにもない」
「うん、だよね。初めての打ち合わせに、こんなキラキラした表情の司会者が来たら、寿も嬉しいと思うよ?」
続けざまに褒められて、う……っと美咲は声を詰まらせた。それを見てチカがニヤニヤ笑う。「ムチ打たれるばっかりで、褒められ慣れてないもんね〜」と。
「だから松乃さんは、本番までの二カ月間、自信を持って自分に水を与えなさい。貪欲に吸収しなさい。それが、新郎新婦の笑顔に繋がり、果てはあなたの笑顔にもなるから」
「はい……っ!」
チカが美咲の肩に手を置き、優しく揉んでくれながら言う。「美咲ちゃん、覚えてる?」と。
「なにを……ですか?」
「最初に泉っちが言ったこと。夏にはデビューを目指せると思う、って宣言してたでしょ? そのとおりになったね」
「あ……」
目標達成じゃん、とチカにバシッと背中を叩かれ、ハッとした。
そうだ、自分の目標は、婚礼司会者になることだった。
このグジグジした性格を直すことでもなく、隠れてちっとも出てきてくれない自信とやらを、半泣きで探し回ることでもなく。
目には見えない幸せの形を、その時間を、思い出を、作るお手伝いがしたいのだと。
それを自分の仕事に……生き甲斐にしていきたいのだと。
「サオリに感謝する必要はまったくないけど、踏ん切りはついたよね」
「踏ん切りっていうより、勢いがついたという表現が的確じゃない?」
在原先生には敵いません〜と、チカがホールドアップした、そのとき。
チカのパソコンが、ポンッと鳴った。新着メールだ。
お仕事お仕事〜と、いそいそとパソコンの前へ赴き、しばらくディスプレイを覗きこんでいたチカが、くるっと振り向き、サムアップした。
その表情は、どこかキリッと。そしてキラッと。チカの敏腕マネージャー・スイッチが、カチッと入った瞬間だ。
「美咲ちゃん。七月七日本番の披露宴の打ち合わせ日、決定したよ。再来週の土曜だって」
──────来たっ!
美咲は反射的に立ちあがり、祈るように胸の前で両手を組んだ。
見れば在原も腰を浮かせている。美咲以上に緊張した表情に驚きつつも、嬉しくて笑ってしまった。
なによ、と在原が目を吊り上げるから、ますます笑み崩れてしまう。
「心配してくださって、ありがとうございます、在原さん」
「なによ、心配なんかしてないわよ。してるとしたら、あなたじゃなくて、ご両家の心配だから」
「えー、さっき大丈夫って言ってくれたばかりじゃないですか」
やっぱり今日はケンカの日か〜? と、チカが呆れて苦笑する。
「さて、どーする? 打ち合わせOKの返事をしたら、どう転んでも、もう変更はきかないよ? この日の予定は?」
「予定はありません。大丈夫です」
予定があっても、こちらを取ります! と続けたら、「よし」と在原が拳を固めた。それを見てチカも大きく頷く。
「じゃあMCスピカのマネージャーとして最終確認するね、美咲ちゃん」
コホンと咳払いし、チカが姿勢を正す。美咲も背筋を伸ばし、お腹の前で両手を重ねた。
「再来週、六月十五日土曜日、十四時。井上・中村ご両家のウェディングパーティー打ち合わせです。司会、入りますか? 松乃美咲さん」
最終確認の声に、全身が震えた。
尊敬する在原泉先輩を見あげれば、まるで優しく背を押すように頷いてくれたから──だから。
だから美咲は自信を持って、心から湧きあがる笑顔で応えた。
「司会、入ります!」
(創作大賞2024/お仕事小説部門に参加中)
第6話/第一部おわり(第二部公開時期は未定)
→ https://note.com/jin_kizuki/n/n5fe9227c5e07 番外編1は、おばさん司会者・福田幸子!
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