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電池なし手動でシャッターの切れる1眼レフフィルムカメラのコツをつかむ 


はじめに

 カメラをいつも手にしていた。中学生になりカメラの世界にはまった。もともとメカニカルなものにふれるのがすきだった。時計、ラジオ、そしてカメラ。そんな機械の裏ぶたをそ~っとあけて時間をわすれていつまでもながめていた。

ちょうど技術家庭科でそんな機械の機構をまなんだ。なんともおもしろい世界があるもんだと授業時間をたのしみにしていた。

手になじむサイズ

 なかでもカメラ。家には父の買ったばかりの新品。OLYMPUS OM-1。いつまでもカタログと説明書を読んで実際にそのとおりにはたらくかひとつひとつたしかめていった。

どれも緻密でなめらかなうごき。カシャとシャッターの切れる音。軽やかですばやい。連動するレンズ表面にみえる絞りのうごき。さらに内部ではペンタプリズムでファインダーにみちびかれていた光がミラーのうごきとともに瞬時にフィルムへ。

中学前半で小がらだったので、たかだか700グラムあまりのコンパクトなカメラでも重い。Nikonなどとくらべると半分かもしれない。それでも手にずっしりくる。かまえるといくつかのダイヤルまで指先がとどかない。

やっと背が伸びはじめてクラスで前から3番がいきなりうしろから7,8番までに。成長のはやい女子たちから見おろされるようだったのに、こんどはすこしだけ見おろすぐらいに。とうぜん彼女らは「急にのびるもんだねえ。」とさかんに言う。

カメラを右手でかまえ左手でレンズと本体を下からささえ、フィルム送りのレバーを親ゆびの腹で操作できるように。ようやくカメラのサイズにじぶんのほうがおいついてしっくりきはじめた。小さな手ではそのレバーすらぎこちなくうごかすのがやっとだったからずいぶん進歩。

これでファインダーから目をはなさずに撮影に専念できた。

電気なしで作動するカメラ

 このカメラは露出計に水銀ボタン電池をつかっていた。すると撮影の途中で電池が切れる。かなり長もちしたのでわすれたころに露出をあらわす針がダウン。「あっ、電池切れ。」慣れるまではあわてて予備の電池を買いに走っていた。

ところがどうだろう。すでにたびたびの撮影で、晴れた日ならばこのくらい、くもりならばこの程度とシャッター速度と絞りの値はなじみのレンズならばおぼえている。それでファインダーをのぞいてこのくらいかなと露出計なしで撮影してもとくに支障はなかった。

つまり電池なしでシャッターが切れた。露出計は付属物でありいわばおまけ。なくても撮影できるカメラだった。レンズはいまではふつうの自動焦点ではない。すべて手動。正真正銘のマニュアル撮影。これは便利とそれ以降はしばしば露出計なしでフィルム1本ぐらい撮れるように。

とっさの電池ぎれでもとくに支障なくおちついて撮影できるのでそれに気づいたのはわれながら大きな進歩。

じょうぶなもの

 このカメラをたずさえてさまざまなところにでかけた。いちどは外出先の階段でカメラを首にかけたままころんだ。レンズをつけたカメラをもろに階段にぶつけた。じぶんの身よりもカメラ。ああ、やってしまったとあわてた。レンズはきっとわれたろうなあと手にとる。

レンズのいちばん外側のふちがへこんでいる。ここでコンクリートにあたったらしい。レンズはどうやら無事。すぐ内側にある絞り環はスムーズにうごく。シャッターもきれた。さすがにカメラごと修理にだした。

その反省もあって修理からもどって以降はレンズには保護の目的でSKYLIGHT[1B]フィルターを常時つけた。現在までこのフィルターがカメラをまもってくれている。フィルターのふちは長年のあいだにガタガタに。使用感にあふれている。

おわりに

 カメラとともにさまざま撮影してきた。大学時代はさすがに交流がさかんで人物が多いし、のちには自然が対象に。すでにこのフィルムカメラで銀塩写真を撮影する機会はなくなった。

いまのミラーレスカメラ(Canon EOS M-10)とくらべると手にずっしりくる。OM-1ですらそうだから、もうNikonの一眼レフのフルサイズのボディなど使えないほどの体力になってしまった。ミラーレスの重さが負担にならずちょうどいい。しかたないか。


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