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昨今の事象をきっかけにこれまでの価値観を見なおしてきもちを整理した


はじめに

 彼の病の流行により、世の中全体がさまざまな分野で影響を受けている。

わたしのなかでは流行前にはみずからの「持続可能性」についてはいくぶん漠然としたイメージだった。ところが事態が長びいてくると、こつぜんと具体的な事象としてあらわれてきた。目の前に姿をあらわしたと言っていい。より広範にその「持続」の意味を具体的に考えるきっかけになりつつある。

こうした機会は一生のなかでそれほどあることではないだろう。きのう1か月前の記事につづいてここで整理してみよう。


彼の病をきっかけとして

 2019年の12月にこの病の報道をはじめて耳にした。わりと小さなあつかいの記事で「風土病か何か?」ぐらいのイメージだった。ただ何かいやな予感がした。

その年が明けると、わが国では突如として「対岸の火事」ではなくなり、だんだんと身近なところにさまざま起こりはじめ、家族やふだん接する人々に関わるできごとになった。

もとはそれに関わる仕事だったので、どう対処すべきか(はっきりしないなりに経験にもとづいた理解の範囲で)わりと客観視して用心しつつとらえた。

ただしそれ以降、ひとごとではなくいずれわが身にふりかかってくるだろうと覚悟はしていた。


生業への影響

 その覚悟は覚悟として、はじめての緊急事態時には行政の指導にもとづいて自らの仕事の制限、それに対して行政のサポートを受けるなど、あっさりと現実として行動せざる負えない事態に。

仕事はそれまで以上にwebを活用しその状況はしばらくつづた(2021.9あたり)。顧客のなかにはネット環境への迅速な対応ができずに、サポートのむずかしい方が出はじめ、この時期で半減。くわえて知人からのリモート授業の相談を受けた。

その一方で、流行とはそれほど関係ないだろうと思われ副業から主業に変わろうとしていた(農業分野)はあきらめた。

予想しないところに3密を生じる場面があり、リスクをさけるため仕事を辞退しようとあっさり断念した。それまで5年ほどかけてつみあげてきて順調にいきかけたが…。

ざんねんなきもちすら湧かなかった。「まっ、しかたないか。」これぐらいの感じ。すでにさまざまなことが起こりあらためて思いおこすと、落胆を受けいれないようにおのずと心に予防線を張り防御していたと思う。そうじゃないと耐えられないし、ぽっきり折れてしまったかも。

感情を高めても怒ろうにもぶつける先はない。すべてしかたのないこと。


気にしない

 それでもなんとか食べて生きている。小さなことでもみつけてやれば、日々食べていくぐらいは何とかいける。

最低限の算段さえ怠らずにいれば、あとは気にせずふだんどおりをこころがける。ヒトに会う仕事はすべて代替法を採用、やむをえないものだけにして、あとはすべてwebで済ませた。

むしろこうした制限は新たな発想を生むチャンスをもらえる。それまでの生きかたをなるべく維持できるように、持続できるようにくふうしていこうと考えた。

彼の病の制限はちょうど迷路のゲームのよう。「行きどまり」に来たら引きかえしてあらたな道を探ればいい。それでいま一歩さきへすすめる。そのくりかえし。それでいいのでは。


おわりに

 そう考えるとなにもいままで生きてきた大部分の人生とさほど変わりない。つくろってなおす服のよう。

こう思うようになり庭に鳴きはじめた秋の虫たちがさまざまな声をとりかわすようすに気づけた。

何もとくべつなわけではない。やりすごしたあともたんたんと日々のくらしをごくごく小さなよろこびを見つけつつ、生きていけばいい。きもちがすっきりすると、ひとつずつ納得のいくかたちでつみのこしてきたものをひとつずつ整理していける。

あらたな道へすすんでいこうとうごきはじめた。身辺があわただしくなった。

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