気分を落ち着けられる作業と文具 鉛筆を手で削り、1本100円のシャープペンシルを25年間使いつづける
はじめに
文具はそれぞれの人にとってそれなりにこだわりがあるもの。たとえば数年前まで幼稚園時代の工作用はさみを母のつけた布製の名札をつけたまま使っていた。物もちがよいようだ。
さて、話は筆記具にとぶ。これまで基本的に木の軸の鉛筆を使いつづけてきた。もちろんシャープペンシル(和製英語。米語でメカニカルペンシルのこと)もときには使う。
鉛筆のかたわらにある1本のシャープペンシルは25年前に100円で買ったもの。酷使しながら使いつづけている。
それら文具にまつわるできごとと、わたしなりのこだわりについて。
中学校の頃から
ちょうど中学校に上がる頃にシャープペンシルを使いはじめた。世に鉛筆以外で中学生のこづかいでも買える筆記具として出た頃だった。友人の何割かは物珍しさもあり使い始めていた。
わたしは入学祝いに知り合いから頂いたが、メンテナンスのわずらわしさから学校では使わず弟にやり、もっぱら鉛筆だった。
いまでも小学生たちには鉛筆による指導が学校でつづいている。わたしの通った小学校の教室の後ろには手動の鉛筆削り器があり、授業中でもそこまで行きぐりぐりまわしていた。
中学校でもおなじものが教室にあったはずだが、基本的には鉛筆の生徒は筆箱に個人用の消しゴムサイズの削り器を入れていた。わたしはどういうわけかこれを持ち合わせておらず、肥後守(登録商標、折りたたみ小刀)か、カッターナイフで削っていた。
慣れてくるときれいに時間をかけずに削れた。いかにきれいに削るか一時期は鉛筆削り器ぐらいの精度で削ろうとしていた時期があったぐらい。
そろばん塾で
小学校3年生から中学2年までそろばん塾に通っていた。通う日は早めに外遊びから帰ると宿題を終わらせ、夕方放映される人形劇を見たのち、歩いて5分ほどの集会所に向かっていた。
前のクラスが終わるまで目の前の公園で遊べた。夕暮れ時に大手を振って外に出て遊べる唯一の機会だったので長くつづけられたと思う。
そろばんでは鉛筆を人差指と親指、さらに薬指と小指のあいだに持ちながら珠をはじく。学校で使って短くなり手に収まるほどの長さになると、そろばん用になった。10センチ以内の長さが子どもの手にちょうどよい。
計算結果が出るとすぐにそろばんの珠を読み取り、解答用紙に記入する。鉛筆を持ったままならば時間をかけずに効率よくつぎの問題へ進める。
鉛筆を削る合い間に
いろいろ気づきがあった。振動で芯が折れやすくなってしまうから4Bの描画用や色鉛筆では電動鉛筆削りを使わなかった。やさしく手で削るほうがいい。
技術科の実習では製図用の用具や鉛筆の利用は初めての経験。鉛筆の芯をマイナスドライバーの先みたいに一文字の形状に削るよう指導された。これで一定幅の精密な線をひける。
定期試験中、悠然と鉛筆をけずるわたしを見て、ある教師はため息をついた。すでに解き終わっていたのですることもなくつぎの時間に備えてやっていたにすぎない。
のちにこの教師は、生徒たちが早く解き終わって2度見直しして教師に見せてOKならばグラウンドに出て遊んでもいいと宣言した。
それを聞いたわたしはそそくさとテストを点検し終わると、まっ先に教師に見せ、グラウンドに出て30分ほどの開放感を味わっていた。3方向が見渡せる高台にあるいい場所。授業中のつかの間の自由ほど晴れやかなものはない。つぎの時間のチャイムが鳴る寸前まで外にいた。
高校の頃は
高校になるとさすがに鉛筆派はまれだった。クラスでおそらくわたしだけ。大学入試がマークシート方式でマークの読み取りに際して鉛筆が推奨されていたので、模試だけは鉛筆の生徒が多かった。
わたしはいつも鉛筆。なぜ鉛筆なのか?と休み時間に削る作業にいそしむようすをけげんにクラスメイトはたすねてきた。そのたびに「べつに理由なんてないけど。」と笑いながら答えていた。
往復2時間半の通学時のかばんは満員の交通機関のなかでもまれ、尖った鉛筆は折れるのでキャップをはめる。当時は透明なプラスチックのものを使っていた。中学生当時の珠算競技会の賞品。その5つをだいじに使っていた。
とくに大学入試のときには慎重に2倍の数の鉛筆を持ち運んだ。芯が根元まで折れてしまうと手作業で削るのはけっこう時間がかかる。入試中にはさすがに机上に刃物類は禁止だ。削るチャンスは休み時間中に限られる(当時は削る用具の携行ならびに手動の鉛筆削りを机上へ置くことは認められていた)。
親が親なら・・・
わが子たちは親のすることをよく見ている。鉛筆に親しむわが家では手回しの鉛筆削り器が身近な場所に。鉛筆が短くなってきたら金属製の補助軸(200~300円程度)をつなげて使う。最後は補助軸を持ちつつ手作業で削る。
こどもの頃のわたしはこの補助軸をこづかいで何本も買うのが惜しく(基本的にケチ)て、計算紙に使った新聞広告を鉛筆にあてて丸めて延長し、セロハンテープで留めて代用していた。これは手になじみ使いごこちがよくなってくる。
補助軸のおかげでギリギリまで、最短1センチぐらいまで使える。
最近はそこまで使いきってミニサイズになった鉛筆は可愛らしいのでたくさんストックしてあり、ときに学習サポートしている小学生たちへのごほうびに。めずらしがられて喜んでもらえる。
もらいものでなく、シャープペンシル(100円)をはじめて買ったのは25年ほど前の1本だけ。仕事で必要だった。これまで酷使してきたが、いまもって心地よく使えている。
かるくてほどよいグリップ部分の太さ。手に取り字を書く際のバランスがいい。もちろん何千円もするいただきものはどういうわけか散逸してしまう。愛着がないせいか。
この100円のものがあまりにしっくりきていて買い足す気になれないでいる。たまに文具店を訪れてたしかめるが、これにかわるほどよいグリップのものがなかなかない。今後これに変わる品を探し出せるかどうか心配になってくる。
おわりに
なにより鉛筆の軸の木をサクサクと削る感触がいい。やはり値の張るHi-uni(ハイユニ、商品名)などは使っている木がなめらかで、削りごごちは終始快適。もはや1本あたりではシャープペンシルよりも高い値段になってしまうが。
さらに削っているあいだに気分は落ち着いてくる。鉛筆を削る行為を長いあいだつづけてきたおかげで、この作業できもちをコントロールできる。
気のむしゃくしゃしているときには削った結果がよくない。一息ついてから削る。きれいに削れた鉛筆が筆箱にならぶと気分がいい。つぎの仕事に集中できる構えができる気がする。
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