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列車の旅は目的地にむかうのとはべつに途中下車にもおもしろさの要素がありそう


はじめに

 昨今の状況のまえ、旅といえばまず列車を選択という時期があった。手持ちの資金はすくなく時間のみに余裕がある若い頃、各駅停車の普通列車で移動。気がむけば途中で降りてはじめての土地を勘をたよりに散策する。わりと方向音痴な自分をためす意味で突拍子のないことが起こりがちで興味をそそる。

きょうはそんな話。

列車の旅

 すでにどんなつもりでどこへ向かおうとしたのか思い出せない。行き当たりばったりの旅でおこるさまざまにはわくわくするもの。予定した先の目的地ではたいした用事はなく無味乾燥なことのほうが多い。それはしごとだったり個人的な用事だったりで記憶には残らないもの。

せっかく列車にのれるならば途中のまだ見知らぬ土地のようすを知りたい。あの小山のむこうには海がひろがっていそうだとか、岬のむこうがわはどうなっているのだろうと想像をまじえながら列車を降りて実際に歩いて向かう。

とくに用はなく

 こんなまったくあてがなくそれがわかったとてなんのプラスになるわけでもない。でも個人的には満足できる。そんな無目的といっていい旅こそ印象にのこりやすい。本来そこにいた目的はすでにあたまのなかから消え去ったとしてもその雰囲気だけはきれいに再現できる。

絵にすることすらそんなにむずかしくない。転業ののちしごとに重きをおかざるをえない頃、しばらくは気分転換にあえて時間をつくり、いくつかの旅で得た残像ともいえそうな風景を絵にしていた。えんぴつでさらさらと概形を描き、色鉛筆で着色。

色がついている

 話はかわるがわたしの見るゆめは基本的に見たままの色がついている。おなじように旅で得たようすにも色やかたちの印象がのこる。趣向を凝らそうと思い、携帯できる小型のクロッキー帳(手帳サイズ)を持参してさらさらとスケッチ、携帯用の水彩絵の具で着彩。つかう水は持参のペットボトルの数滴。これはじつにたのしい。

早くからこうすればよかった。海外にも持参し、人影まばらなカンタベリーの大聖堂の内でステンドグラスの窓からさしこむ光のようすを描いたことも。このときは厳粛な場なのでえんぴつのみでスケッチ。ほど近いB&Bにもどりそれを見返すと見たばかりの七色の透過光を脳裏に反芻できた。

写真では技量がないのもあってその心象まではなかなか残らない。だがスケッチはあきらかにあとで見返すとその場で感じたままをもっともよく反映する。じわりと思い出せる。写真ではなかなかそうはならないからふしぎ。なぜなんだろう。

途中下車

 どこで降りようかと窓をすこしだけあけてここちよく車内にふきこむ風にあたりながら列車の窓の外をながめる。ここよさそうととっさの判断であそこのさきへ行ってみたいと即座に降り立ち、そこへ一目散に早足で歩いた。

たいてい事前の予想とは異なる風景がひろがっていたり、家なみが建て込んでいたりと想定外のことが起こりがち。ヒトのくらしがここでも連綿とつづいている、とふだんは思いもしないきもちになったことも。

おわりに

 なかなかこんな時間のとれることがなくなったし、こんなふうに熱中して自由気ままにすごせていない。今度の旅はいわば典型的な「旅行」とはずれており多くのヒトに出会うことはせず、混雑を極力さけるつもり。

上に記したような「自由時間」をほんのうすこしだけ(半日だけ)やれる予定。ひさしぶりに都心をめぐる。なにをしてすごそうか。


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