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(ショートショート)パッケージを欲しがる人々


サービスの行きつくところ

 包装に印刷された情報でものをえらぶ世のなかとなり、ついに商品よりもパッケージのほうに製造や販売のコストのかかる時代がおとずれた。

過剰包装を禁じる法律ができたり、パッケージの簡素化を推進した店の課税を軽減したりする政府の政策は焼け石に水。手の施しようがなく、またたくまにそれは日常となった。

「中身の商品にちがいがないことが原因だ。」とテレビに登場する評論家がもっともらしく自説を述べた。

人々は、ものを買ううえでの情報をいままで以上にほしがり、その包装でおさまりきれない情報までくまなく見つけだし、生産者や製造業者の日々の気分や運勢までも気にする買いかたがひろまった。

製造業者の競争

 自由競争の世のなかだ。消費者に需要があれば包装にくふうをこらし、他社との差別化をはかり供給しようとする。つかわれたことのない包装資材を遠くのある国からとりよせたり、包装の内側にくじびきの結果があらわれるキャンペーンを行なったりした。

すると、他社も負けじと同様のキャンペーンをおこなう。包装の内側の色がちがうだけといった商品の中身とはなんら関係のなさそうなアイデアが爆発的な流行となるなど、信じられないうごきすらあった。

こうなるとなんでもありの世のなか。パッケージのちょっとした印刷のずれやタイプミスなどを見つけて、そのパッケージを譲ってもらえないかといった取引が成立し新たな市場が生まれた。


テレビで取り上げる

 そして包装分野で収集家があらわれ、そのジャンルだけで週1回のテレビ番組がゴールデンタイムに週1回放送されるまでになった。

いまだにテレビ番組の影響は大きい。こどもたちはその包装をさがしだそうとする。放送日の翌日にはその商品は店の棚からすがたを消していた。

あらたな流行。すでに商品よりも包装に費用がかかっているので、ますます商品自体の価値はさがり、もはやごく少量しか中身が入っていない商品が現れた。つまり包装のほうをめざす消費者の台頭だ。

店の変遷

 商品はかたちだけとなり、店の各商品のなかから目的のものをさがしだすのに苦労するほど。毎週のようにパッケージのデザインが変わるため、おなじみの商品のイメージのままスーパーマーケットで商品をさがしだすのは困難になった。

はては新旧パッケージの変遷をまとめた本が出版されるほど。その本を片手に日々の食材をさがしだすまでになった。

人々はむかしをなつかしがり、便利だったとなげいた。そこである店主がはたと気づいた。それから数日後その店主はあらたな店を開いた。

あらたな業態

 昭和の中頃にあったらしいとされる「八百屋」風の店である。

ここでは各商品がむきだしのまま山とつまれ、代金とひきかえに「買い物かご」といわれる客が各自で家庭からたずさえた入れものに商品を入れることができるという画期的なアイデアだった。

パッケージはなし。商品は直感的に認識できて手にとりやすい。値段の交渉すら可能だ。店にはつねに活気のある会話があり、それを楽しみに訪れる客もいた。

便利さと心地よさを求めた客がひっきりなしにおとずれ黒山の人だかり。店は繁盛した。


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