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ここちよい風をさがしながら空気の流れに身をおいた日々に思いをはせる


はじめに

 それにしてもことしの夏は暑かった。いまもって残暑がときおり顔を見せる。しかも昨今の状況で家のなかにこもる生活パターンがあきらかにふえた。

部屋のなかをふきぬける風、そんな微妙な空気のながれに敏感になりつつある。そういえば「風」とともに生きてきた。

外に行ってもいいのだが…

 できれば冷房をさけたい。「適切に冷房をしましょう。」といわれても電気代をはらうのはわたし。ないそではふれない。そこであちらこちらの窓を全開にして時こくによって吹く風をさがしまわる。

つまり風に合わせて身のおき場をかえていく。するとおもしろいことに気づく。天候が安定していると午前と午後で風のふいてくる向きがあきらかにちがう。あいまには「なぎ」の時間もある。午前中は南向きの玄関さきがもっとも風通しがいい。つまり玄関のとびらをあけて一歩ふみだしたあたり。

ここはいつも海からおだやかに吹いている。いわゆる海風。郵便受けをあけるとき風をほおに感じる。この風にはどこかなつかしさがいっしょになっている。

海風にふかれて

 そう、「海の家」。社宅に住むこどもたちへの会社からのなつやすみのプレゼント。当時はこうした福利厚生のさまざまなイベントが用意されていた。

海水浴に行くと着替えて、まずはそこで一息つく。そして午前の熱くなりはじめた砂のうえをあちあちいいながら、まだあたたまりきっていない水際で泳いではしゃぐ。ひととおり遊んだあとはのどがかわき、ひんやりした海の家にもどる。くつろぐおとなたちのところへ。「ここへ来い」とおとなりに住むおじさんがてまねきする。

ちょこんとすわり切ったすいかのかけらをもったまま海のがわを向くと、おじさんのいうとおり、ここちよい。波のおだやかな音とともに涼やかなかぜがぬれたままのからだの表面をとおりぬける。ここちよさはかくべつだった。

いま玄関先にたたずみ、とおりぬけていく空気のなかで思い起こす。ほぼおなじ思い出の風景。

運動会のなかで

 これからしばらく練習がつづく運動会。この頃になると練習で汗をかいても、丘のうえの中学校ではいつもいずれかの方角からかかならずといってよいほどすずしい風をもらえた。グラウンドはいつもなにがしかの風を感じられる場所だった。

この行事の頃は天候が安定していたので、部活がないとさらにうえの高圧線の基壇まで友人と行っていた。そこは風のなかで街を一望できるとっておきの場所。見あげると手でつかめそうなぐらいのところを雲がいく。視線のさきの街はかならずといってよいほどどこかで工事をしていた。これからどんなふうに発展するんだろうとわくわくしていた。

外に出ても…

 そしていま。休日に家をでて散歩する。たいてい海がわよりも山のほう。海がわには陽をさえぎるものがない。それに対して南西側に山をかかえるこの集落では、午後には山ぎわからはやく陽が射さなくなり山かげとなる。

したがって山がわへむかう散歩は昼さがりがいい。ふもとの湧き水のでるあたりをすぎるととたんに空気がかわる。山で陽がさえぎられたうえにそこには鬱蒼とした杉の林が目のまえに。ここの山道を山から吹く風がふもとの集落にむかって吹く。

ここも風を感じやすい。そしてふりかえると海。風といっしょに視線がむかう。

おわりに

 このあたりは散歩していてもヒトにはほとんど出会わない(ほんとに年に何回かというぐらい)。外にでてもよいはずなのに。

しずかな集落、そしてよりしーんとして鳥と虫、沢の水の音、そして風が木々をゆらし抜け山々をそこここで響かせるだけ。ヒトの気配がまるでない。

そうしたなかでいつもとかわらず風だけはいつもふいている。たそがれどきにはこの風がわが家にたどりつく。

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