夏の午後~夕がたにかけての「夕立ち」に涼んだ感触はもうあじわえないのか
はじめに
さきほどからごろごろ聞こえてくる。何度かサアッ~と夕立ぎみ。すでに午後なのでそう呼んでいいかもしれない。こんな午後はこのところではまれな気がする。
こどものころは永遠になつやすみではないかというぐらい時間がゆったりすぎていた。午後はけだるく暑いものだったことにちがいはない。でも根本的にちがうよなあと感じる点について。
猛暑の昼さがり
むかしも暑いことは暑かった。根本的にちがうのはクーラーなるものは近所にはなく、よそ行きの服を着てごくたまにでかける街なかのデパートぐらい。
クーラーがなくてもなんとかすごしてきた。というかこどもでちょこまかうごきまわっていたので、涼むよりは外でびっしょりになりながらあそびに夢中だった。暑さは二の次。
暑さに関して小学生時代の記憶はうすい。たびたびの学校のプール当番にでかけ、プールまわりのコンクリートのいてもたってもいられないほど焼けるかと思われた足の裏の感触ぐらいだろうか。
夕立ちの午後
そんなプールのなまぬるい水につかっていると、ざあーとくる午後の雨。もぐって上をながめるとそれはふしぎな光景だった。おおきな雨つぶの水に突入するようすをなかで息をとめつつながめていた。
空き地でともだちと三角ベースをいつものようにやっていた午後。しばらくすると雲がわきあがりかみなりの音ともにあたりが暗くなり、パラパラふりはじめる。近所の家の軒先で雨宿り。そこでとりとめのない話をともだちと交わすのはたのしかった。
いつもとちがうシチュエーションはなぜたのしいのだろう。なにを話したか詳細はなにもおぼえていないが、楽しかった印象だけが昇華されてのこる。
夕立ちのあと
ひと雨やりすごすと、すぅ~と涼やかな風がとおりすぎた。汗ばんだシャツのなかを通過する風がここちよかった。雨あがりのさわやかさこそ最上。一転してエネルギーのありあまった太陽が照りつけると、土のにおいとともにたまりにたまった湿度がもわっとおしよせてきた。これは最悪。
こうした感触はいつまでもわすれない。残念なのはこのあたりの一連の気候のながれをあまりあじわえなくなっているところ。
おわりに
夏の暑さ⇒夕立ち⇒夕涼みの好循環が感じられなくなった気がする。ふれば暴力的に降りつづけ、洪水を各地に起こす。
夜までかたくなな太陽熱が居のこる。天井からの輻射熱が夜なかじゅうつづく。夕立ちにあったいいほうの印象をこのところ体感していない。
夕立ち後のすずしいままで夜がおとずれて、寝るまえには涼風が窓を抜ける。そんな理想的な夏の日はもうこないのだろうか。
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