50年前の未来の予測と現在のようすをいろいろとくらべてみると...
はじめに
生命科学・化学関係の研究パートにたずさわっている。それで最新の論文や知見について目をとおしている。
なかでも原子や分子の挙動をしるのはだいじな情報。このところ急速にさまざまな手法でそれらを観察できつつある。こんなにしっかりしかもわかりやすい画像で観察できる時代がおとずれるとは。
ここからさきの進歩のスピードやなかみを予想しにくい。それじゃあ、50年前のヒトビトは現代をどう予測していたのか。あるサイトを参照しつつ概観してみた。
50年後の予想
わたしは昭和生まれ。すると未来を予測するニュースにせっする機会があった。あれは万博のときだったか。科学者やSF作家などが予想した50年後の未来。ちょうど2020年代のいまごろを予測したもの。これだったかな。
こちらがその内容。
(https://www.mitsubishi.com/ja/150th/future/pdf/Mitsubishi_Future.pdf)。
そこからキーワードを引用させていただき、科学者のはしくれとしていくつかコメントしよう。
「宇宙からの気象観測」については、まいにちすでになくてはならない必需品。わりとはやくに実用化され、ひまわりなどの気象衛星はすでにおなじみ。逆にアポロ宇宙船はその予測の直前に月に到達したわりには、そののちヒトは月や火星におとずれていない。もっと遠くやことなる探査にはさらなる技術の蓄積の期間が必要ということか。
「自家用ヘリコプター」なんてのはドローンの発展版かな。そろそろ空を飛ぶ車の免許証や交通ルールなどちらほら耳にする。
「家事のオートメーション化」っていうのは一部はふつうになったのかな。洗たくや乾燥。ロボット機具によるそうじもそうだな。電子レンジやオーブンの機能なども。逆に、手づくりや手間をかけておこなうのも見直されている。
みなおしといえば、いまのデジタルカメラにたいして、フィルムカメラがいまもって若い世代に受けいれられたり、レコードがいいと言われたり。レトロ趣味ともひとあじちがう。こうしてわざわざ「不便さ」をべつの価値感として受容したのしむ現象はおもしろい。
こんなものも
「農業は人工照明になり、能率的で…。」とある。これはいまの植物工場のようすかな。市販のきのこなんてかなりがこうなった。ビニルハウスなど施設園芸農業などもそうかもしれない。
予想にあった「養殖漁業」や栽培漁業については今後の持続可能性をかんがえるとすでにごくふつうに産業として成立している。「人工養殖技術」はほんとうに進歩したなと思う。マグロなんかもそうだし。口にする多くの魚種がすでにそうらしい。
「壁掛テレビ」は的中かも。もはやブラウン管と口をすべらせようものならば、わかいヒトはきょとんとしそう。画面はどんどんうすくなる。「ホーム電子頭脳」についてはいまの物品を紹介するまでない。こんなに普及するとはここ20年のひろがりはすごい。
医療の分野では「人工臓器」。これもさまざまある。そしてiPS細胞やES細胞などの技術から生まれる組織や器官の一部の移植手術の実用化に関しては予想以上かな。生殖や生命の分野は予想だにしないぐらいの発展。
それは高校の生物の教科書がわたしの学生だったころとくらべてさまがわりしたことからもあきらか。ロボット医療もすでに実用化され、各地に配置されつつある。遠隔地でいのちを救える可能性がふえる。
これはちょっと…
スポーツに関する予想キーワードにはかんがえさせられた。それは「義務スポーツ」。機械文明にかこまれてうごかなくなるだろうヒトビトのようすが容易におもいうかぶ。まさにわたしはその当事者。たしかにそうだな。「運動しないとな。」と口をついてでてくる。50年前にすでに警鐘したヒトがいたとは。
教育はどうかな。「科目別進学制」か。たしかにいまの学校の「学年別進学制」はさまざまな問題もかかえている。ついていけない児童生徒の一方で、ふきこぼれやギフテッドなどのあらたなことばもニュースに登場している。選べるようになるといいなあ。
おわりに
さいきんおどろいたのは原子や分子のうごくようすを観察できるようになりつつあること。これはまだずっと先のことだろうと数十年前の学生当時、おたがいにはなしをしたことを思い出す。
これから50年後にはいったいどんなふうになっているだろう。「未来」のことばにはプラスの要素と期待をかんじる。すなおに夢みていたいし、わくわくしたい。あかるい将来になることを期待したい。
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