見出し画像

ごくごくみぢかなことばがすぐそこにいるのにでてこないもどかしさ


はじめに

 「あたまがつかれてない?」と家族がいう。そうかもしれない。このところそんな印象がポンコツになりつつあるわが身にある。それでもつかいかたを変えればまだなんとかなる部分があるのではとも思う。

きょうは休日。アタマを休ませつつきょうはそんな話。

これしてあれして

 あっというまに3月がおわろうとしている。ことしも100日ちかくがすでに終わろうとしている。えっ、ついこのあいだ正月だったはず。とズレまくるコメントをくりかえす。1週間など日めくりカレンダーのよう。お気に入りの洋楽のFMをおととい聴いたはず、と思ったらなんと1週間前の話だったり、プラごみは3日前に出したから次回は…と考えていたらそれはきょうで、しかも出勤してすでにしごと先だったり。

なかなかかなしい。人生ののこり時間はこうしてすな時計のすなのおわりがけのようにさあ~とあっさりながれおわる。おむかえの時までそれなりに1日1にちをしっかりすごさなくちゃもったいない。

休ませることも

 1日をふりかえるとなかにはけ足ぶみの日も多い。アタマとからだをつかうわりには進展がみえない。とくにポンコツのアタマはこのところアヤシイ。先日は生徒に歴史の説明をしていて徳川家康なる人物が口から出てこずにこまってしまった。「ああ、あのヒト。」「そう、関ケ原の…。」というところで気をきかせて生徒がこたえてくれた。

生命科学の研究パートとこの学習サポートをかけもち、つまり兼業。スモールビジネスの典型で、あわせわざでひとりぶん。1週間をなんとかふりわけている。いずれも生徒や学生と日々せっする。学生さんとのやりとりでおなじようなことがおこる。日々づかいのありふれた試薬のなまえがなぜか出てこない。

しごとのながれから学生さんたちが把握していてわたしがしどろもどろしかけたところで「はい、これですよね。」とわたしてくれる。なかなかの気づかい。すでにわたしの状況をこころえてくれている。お礼を言う。


家族から

 どうもそんなことがふえつつあるのか。あるいはわたしのもともとのパーソナリティーが顕在しただけなのか。とくにおぼえられないのがグーグルやマイクロソフト関係のアカウントやそれに付随するさまざまなサービスにともなうあれこれ。お読みのかたは「なんのこっちゃ。」と思われるかもしれない。

PCのあつかいはそこそこながい。はっきりいうとビギナーレベルをそのまま維持して今にいたるといえる。CSSやHTMLなどもあつかってきた。どうしてもやらなくてはならない、さけられない設定を我流でくぐりぬけてしまった。先達にまなべばよかったのに遠まわりしてしかも大幅なかんちがいの山を築いてきた。

おわりに

 この「かんちがい」「思い違い」の山にトンネルを掘り作業をちまちまして貫通をめざそうとしている(ジブンで書いていて意味がわからない)。いまやはるかに先進導坑を正確に掘り進める家族のアドバイス(叱咤が多い、失礼)を受けつつ。

それでも稼働してくれないアタマの使ってこなかった予備の部分ののこりはいかほどだろうか。まだ使い方によってはそろばん(暗算はいまでもはやいけど)なみにははたらくかもしれないと思い、だましだましつかっている。


関連記事


広告


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?