この1200日のあいだにすすんだこと、そのままだったこと
はじめに
昨今の状況、せかいじゅう例外なくこのなかですごした。ほぼ例外なく。とうぜんわたしもそう。そのための対策やはたらきかた、生活、そのほかもろもろ、影響をうけたこと、そのままのもの。
きょうはそんな話。
ある冬のさなか
2019年の12月だった。ニュースがながれた。おかしな感染症か?これはどうもようすがおかしいとへんな勘のはたらきがちなわたし。
それは某国からはじまった。昨今の状況。冬時期だったので学習サポートのこどもたちや保護者の方々には、クルーズ船のまえからはやめにアナウンス。これだけは生命科学に従事していただけあって、インフルエンザよりも厳しくなるだろうなということは予測がついた。
それで相応の対策、こどもたちにマスクを配る、学校やクラスが閉鎖のときには学習サポートもおやすみ、すこしでも体調があやしいときはそのまま連絡のうえでひきかえす、あるいは途中で保護者の方へ連絡して迎えに来てもらうなどの処置。いつも以上の衛生管理などなど。
さらに現金のやりとりをすべて廃止、一足飛びにキャシュレスによる取引や教室を閉め、ネット授業にきりかえた。おそらく周囲のなかではやいほう。ずいぶんいろいろなところから方法を聞かれた。
ここで問題が…。ネットへの親しみぐあいにはこどもたちの各ご家庭で幅がある。なんどもスマホやPCの設定で足をはこんでくださり、方法や登録のしかたをやりつつ説明、わかりやすいはずの手順を一枚の紙、あるいはメールにまとめてやりとりした。
お若い方々であっても
遠方で学んでいらっしゃる方々もおなじ。なかなかもどかしくやりとりがうまくいかず、途中で親子ともども断念なさるかたもおいでだった。これはかなしかった。ネットでのやりとりはいちばんきびしいころはどこの学校でも対処はおなじだったのだが…。
ご家庭と学校をつなぐためのネット接続、メールのやりとり、ネット授業や宿題のやりとりもおなじ。それをはやくに投げ出してしまわれる方のなんと多かったこと。こちらも誠心誠意対処してきたが「やっぱりいいです。」とあきらめられ、それまでながくつづけていらしたかたのなかにもそうおっしゃる方がいらした。やはりショックだった。
対人で教えてほしいとおっしゃる。「それは無理です。できません」とこちらもゆずれない。どうもここで考え方のちがいを生じてしまったようだ。わたしからじかに教わりたいお気持ちもよくわかるが、世のなかはまだ素性のよくわからないウイルスとのたたかいのさなか。その対処法でいいのか模索がつづいている。専門家でもそう。
そのように説明をくりかえしたがおわかりいただけない。それならばこの機会にとお声がけして、わかりやすい手順をお示ししたり、設定済みの機器類をお貸しできると提案したりしたが、維持できそうにないと固辞された。
昨今の状況の有無にかかわらず、「こうした機器のとりあつかいはどこかでいずれは接することになるはずです。」とお伝えしたが…。それからまもなく学校でもネットでやりとりすることになった。どうされたのだろう。
おもいはなかなかつたわらなかった。
社会の状況は
このところ元気をもらえるイベントがこのクニやかかわる催しでおきている。やっぱりみなさんきっかけがほしいのはおなじ。それをつうじてもとにもどりたい、あるいはやりたかったこと、あきらめかけたことをもういちどやるんだというきもちをわかせてもらえる。
長かったようで短かかった。どれだけこのクニは変われたのだろう。それでも格差はうまれ、場合によってはよりひらいてしまったかもしれない。
おわりに
言いかたはよくないかもしれないが、これってクニ全体、いや世界全体が大きくフルイにかかった状態かもしれない。なにもしがみついてザルのうえにのこったほうをよしとするのでも、そのつもりで言っているのではない。のこる方々はじぶんでやれるし、ほうっておいてもなんとかなる。
むしろあみの目からぬけてしまうほうの方々にこそものごとの本質があり、ほんとうにサポートの必要な方々。ひかりをあててしくみをかえてあらためないとならないところ。この状況はそれを白日のもとにさらすためにあったと信じたい。おせっかいだろうけれど気になり手をさしのべたくなる。
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昨今の状況に予測した未来とは。この経験をしてきたわたしたちからみて、この本の主張と照らし合わせてみると…。
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