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ごく日常の家事でもポイントをつかむとずぼらをつづけられるのではないか


はじめに

 ずばらな性格。こればかりは性格をあらためようとしてできることではない。なぜならそれを実行しようとするのはおっくうだから。

そこでいつもの家事すら、なんとか手をぬいてみじかい時間でみためを維持できるか、その一点だけやってきた。そのおはなし。

英国とずぼらな性格

 ねっから怠慢なたちのわたし。こればかりは生涯かわりそうにないとカンタベリーの街をあるきながら思った。いま見てきたばかりの大聖堂。くらさの増すおくのおくに歩をすすめると、何百年もむかしにここをつかさどった大司教のつえがガラス越しに。王室とのむすびつきのつよい方。そのときにいろいろ思った。

つごうよく「ずぼら」を「おおらか」にことばをおきかえ自己を解釈する。これからはそう生きようとここをはなれた。

それはみのまわりにいかんなく発揮される。たいていはっとするまで家のなかはちらかっている。みのまわりの品々は3メートル四方におさまるときげんがいい。学生じだいの4畳半ひとまの生活にいまだに憧憬のおもいがある。こたつからちょっと手をのばせば、たちあがって半歩でほとんどのものに手がとどく。ああ、いいなあ。

この状態を気づけないでいられる神経のふとさをお見せしたいほど。清潔だけは維持したけど。客をここへまねきいれることはもってのほか。それでも学生のころは平気でそうしてた。

家事で用心しつつ手をぬく

 水まわりだけは、よごれるとあとがたいへんなのは長い賃貸せいかつでわかっている。かりているところはかえすときをかんがえてねんいりに(当時はできていたからふしぎ)手いれしてきた。

「よごしましたね。」といわれて敷金などがかえってこないとしゃくだから。どうだ、借りはじめとかわらないだろうとみせてやりたい。わたしはその点ではケチのきわみといえそう。「

家をもてるときには水まわりだけは平均的な品質のもののなかでましなものをえらんだ。住みはじめてからはここは手をぬいていいところ、そこはダメなところとわけてチャチャッとやってきた。

水まわりだけは...

 なかでもふろ場のそうじ。これはほとんどやってきた。浴槽のなかがつねにきれいでないとはいりたくない。人工大理石の材質はこすりすぎるときずついてよりよごれやすくなる。

かたい材質の用具をつかわずに、ニンゲンからでるよごれをおとしやすい浴用洗剤をほんのすこしふりかけてしばらく。あとはやさしくぬぐるようにあらう。これを徹底しておこなってきた。

よごれやすいポイントはのこり湯と浴槽の水面付近。わが家では翌日までは災害と洗たくにそなえて湯をのこす。ためおくのでどうしてもここによごれがたまりやすい。

本来ならばホテルやる(これはマナー)ように、浴槽をつかいおわってすぐにかるくタオルで表面をぬぐい、カーテンとともにさっとシャワーして拭き取る。これが理想。それがわかっていたので、そこを念入りに。

あとはさらっと。もう一か所は浴槽のそとのからだをあらうところ。ここのまわりのゆかや側面がせっけんかすなどでよごれがのこりやすい。ここもすこしだけ念入りに。もう一か所しいてあげるとすれば、水栓。

ここにものこりの洗剤をつけてかるく水をかけぬぐう。これだけ。なんとか25年こうして、はいるのに支障のない状態に。それでも給湯や配管など改修しようかどうしようか。

家族のなせるわざ

 ここでさきに言っておくが家族のことをあれこれいうつもりはない。あるとき、四角いちいさなものを買ってきた。小トイレの陶器製の洗面ボウルをそれでゴシゴシやっている。「これ、よくおちるんだよね。」といいながら。さて、それからしばらくのち。あいかわらずそのあたりをゴシゴシ。またやっている。

「おちるんだけどねえ。」といいながら。いつのまにか手洗いの陶器のつやは過去のものとなり、よごれのめだつ状態に。まっさきにリフォームすべき対象のものとなりつつある。

こうして家族もまなびつつある。

おわりに

 いじればいじるほど劣化をすすめる素材もある。陶器製の表面をスチールウールやクレンザーのめの荒いものでこすりすぎるとたいてい表面のうわぐすりのつやがきえていく。

これはあたらしい製品ならばぬれているうちにとりたい。タオルでぬれたところの表面をそっとぬぐうだけ。

水あかの多くはそれだけでもちがう。何年もやってきてようやくそんなふうに思えるように。


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