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ゆたかな生活や質素な生き方もはたらきしだいで選べるクニのはずだし、今後も...


はじめに

 このところ生活費をことあるごとにこまめにみなおしている。月末にあれとこれとを支払いに充てて、うん、これだけあればたりる、と確認する作業をくりかえす。そしてそれに見合うだけはたらく。

すでにそういうとしごろだし。そんな生活のなかから見えてきたこと。

このクニにいるじぶん

 日本というクニに生まれそだつ。するとこうしてとりあえずヨノナカにむけてじぶんの考えを「自由」に発信できる。その自由さはこのクニならではのものではあるが、まちがいなく先人たちの苦労のうえで得たものにちがいない。

そして生活。どう生きようが指図されるわけではない。なにをしごとにしようが、どこへ行こうが、なにを食べようがまったくもって勝手にやれる。

これを空気のように意識しないでこれまですごしてきた。クニがとりあえず安定しているから享受できているものばかり。世界をみわたすとそうでもない。うえに書いたことのどれもがむずかしいクニすらある。

なにひとつできない地域すらある。それを知ると、ろくすっぽじぶんから動こうとせぬまま不満をあたまにおもいうかべるのはどうだろうとおもえてくる。みのまわりの不満(いずれもちいさいが)を口にださずにじぶんから動こうと思う。

なんとかうごきさえすればその不満の一部でもおぎなえるようだし、その行動の「自由」はこのクニにはある、と思う、思いたい。いまのところ。とりあえずあと生きられるだろう何年間、もしくは生きたのちのしばらくのあいだまわりにめいわくをかけずにすごそう、それに必要な収入だけは確保しよう、はたらこうと思いつづけてきた。

生活のスタイルが…

 上の考えかたは前のしごとの頃から、すこしずつあたまをもたげてきてたまにしたしい周囲にもらしていた。当時を思いおこすとじぶんのはたらきぶりから、いただいている報酬が過重ではないかと。

それだけはたらけということかとけんめいにはたらいたら、結果的にこころが不安定に。いまふりかえるとあきらかにそう。こりゃおかしくなるはず。案の定ふだんできていたことすらできずにトラブルを起こしてしまいしごとをやめた。

それをくりかえしがちだということもようやくわかってきた。これもヒトのさが。ヒトは失敗からしか学べないようだ。成功している時点では舞いあがってしまい、まわりがみえなくなる。

そんなにアップダウンのあることをしようとするからそうなる。それならばそうしなければいい。ことごとく低域でフラット。そこに照準をあわせて、波風をたてずにのこりの人生をすごしたいとさいきんは思う。

ことごとくちいさく

 そう、このクニだからこそまだそれもえらべるしやれる生き方。そうさせてもらえる余地だけはどうやらなんとかのこされている。大きく出ようとはいまさらしない。それはまわりにめいわくをばらまき関係をぎこちなくさせる。

どうやって腹をすかせない程度に食べていこうか、住まいを維持しようかと衣食の根本のところだけ注意をはらえばいい。それができるヨノナカって結局は意外と究極なのかもしない。

すくなくともいまよりわるいクニになっていかないように注意をはらいつつ、まわりとなかよく、いさかいがおこるずっと手前でよくよくはなしあう。ヒトサマにめいわくをかけずにやるには、まわりのしぜんや季節のへんかに関心をもち、そちらに興味や関心の比重をうつす。

おわりに

 このクニを維持していくのはたいへんだ。こんなに多種多様なヒトビトがくらしている。そのなかでおりあいをつけてどうにかくらしをつなげていくにはなかよくするしかない。すくなくともわたしからいさかいを生じさせることはいっさいしないつもり。

ミニマルでもありミニマムでもあるのかな。こういうの。


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