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組み合わされてはじめて効果がでてくるものに関してはなかなか解明しにくい


はじめに

 どの分野もそうかもしれない。単独ではその期待される効果はたかがしれているものどうし。それがくみあわさると、予想外の付加価値を生み出す。そんなくみあわせをみつけるのはそんなにかんたんではない。

きょうはそんな話。

塩と…

 たとえばだしをとる作業。かつおぶしをいくらたくさんぐつぐつ湧いたなべのお湯に入れてもそれ単独ではたいしてあじはしない。ところが、そこへほんのひとつまみだけ塩をくわえたとたん、つよいうまみのせかいが口のなかにひろがる。

これはかんがえてみればふしぎ。とうぜんだが塩単独でも淡くしょっぱく感じるだけ。まあ、ないよりはましといったぐらい。それが両者が合わさったとたん、得も言われぬ効果が出現する。

こんなくみあわせ、食べものどうしにかぎらない。野球の大谷くんもそう。打撃だけ、ピッチングだけであれば大リーグにはそれなりの強豪選手はつぶぞろい。しかしそのいずれもひとりでじゅうぶんな成績をのこせるからこそ、これだけ注目される選手となり得た。その価値は大きい。イチロー選手もそうだった。走攻守いずれもしなやかなうごきで魅了された。

将棋の駒もそう。たとえば角行の進むさきに鎮座する銀将は、銀将単独ではなしえない活躍が期待できる。いわゆる「駒の利き」。これこそ将棋のわざともいえるし、攻めの手すじ。相手の弱点となりやすいところ、そこを攻めの拠点として味方の駒をすすめてねらいのところへめがけて集中させる。

この駒の利きがその場において相手の駒のかずをうわまわるとそこは攻めの拠点となりえる。それを先の先まで、それこそ相手の指しそうな手すら読んで、ひたすら手を予見してみずからの有利になりそうなほうへとみちびいていく。

くみあわせをみつけだすこと

 さて、主題にもどろう。研究の場面。こうしたくみあわせは意図してみつかるのはむしろまれかもしれない。たとえば化学や生化学を例にあげてみよう。世のなかに存在する物質のかずは数千万種ともいわれている。天然のものだけでなく、日々つくられる人工のものもある。

さらに生体内の物質。これも主要なものはあきらかになりつつあるが、それすらきちんとやくわりまでわかっているわけではない。さらにその主役をささえるわき役たちの存在がある。

主役とわき役。そのくみあわせでもぼうだいな数になる。もちろんちかくにいるどうしがその候補にはなりえるだろう。しかしいつもおたがいが出会う機会があるとはかぎらない。

絶妙な組み合わせ

 そこにはおたがいが出会えるだけの巧妙で、精密に制御されたしくみが存在する。かべひとつへだてた向こうがわにおたがいを知り得ない世界があると言っていい。それがある時をさかいに出会う。するとそれまでにはない機能やしくみがあらたに表出する。

この物質どうしの出会いを外からみつけだすのはなみたいていの観察、そして存在を想像だけではとうてい見つけられない。わかりやすくいうと渋谷のスクランブル交差点でぐうぜんすれちがったどうし。まったくの他人どうしの関係性を、第3者が気づくようなもの。しかも相手は通常では目に見えない分子のせかい。

そこにはそれぞれの人物の素性を表面的に追っても知り得ない、ほそいつながりをしめす「糸」がかならず存在するはずなのだが、それをみつけだすのは容易ではない。

おわりに

 ふたつのくみあわせというだけでも膨大。それを世のなかはもっとふくざつにくみあわせて、単独ではなし得ないだけの効果をさまざま生み出しつつ成立する。会社もそうだし、おたがいの生活でもそう。ひとりではできることはかぎられている。協力しあってこそはじめて大きな力と能力をうみだしている。

それにひとつでも気づけるとそこにはあらたな世界がひろがっているはず。


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