現在のわたしのズボラぐあいを知るにはPCの画面上のアイコンのちらかりぐあいをみればいい
はじめに
かたづけるのがおっくう。ときどきそんなきもちになり、それにはあきらかな波がある。気分がのらない。そのいっぽうで浅い睡眠がつづいてつかれがとれない。
3年あまりの昨今の状況下でそれが極端にながくつづいた。トンネルにはいったままのよう。ようやく反対側のあかりがかすかにみえはじめたぐらい。
そんなようすは周囲にいろいろとあらわれる。そのささいな気づきについて記す。
きょうはそんな話。
まいにちむかうもの
あさごはんをつくりたべおわるとまずむかうのはPC。出勤日でもそう。家を出るまで時間に余裕があればnoteにも着手。あらかたしあげて車で職場にむかう。しごとをはじめるまで時間があるので、そこで読みなおして手をいれて記事を掲載。
たまにふと気づく。つねに持ち歩くノートPC(むかしはラップトップPCといったなあ)の画面。
ありゃあ、種々雑多なアイコンが画面上にちらばる。やりかけしごとがそのまま散財している。ひとつひとつかたずけよう。それに気づいてもつぎの段階にすすめず、整理の作業にはいることがめったにない。1,2か月に1回あるかどうか。そのタイミングを逸するとつぎまでそのままほうっておいてしまう。
するとひだりからみぎに画面上に整列していたはずのアイコンたちが、昼休みの運動場のこどもたちのように画面いっぱいにちらばる。ひどいときはそれをなんともおもわなくなる。すると家の玄関先や室内までちらかりはじめる。
うきしずみとともに
これが以前ならば、ああ、いけないいけないとかたづけるもうひとりのじぶんがいた。昨今の状況のトンネルにはいってからは「まっ、いいか。」どころかそのちらかるようすを客観視できない。もはや鏡をもたない状況とおなじ。ただようままのこころに声をかける存在もない。
それでも深い淵の底にしずみつづけはしなかった。ずぶずぶとはいかずにしずみにくい体質らしい。こればかりはどうもじぶんではわからない。主業がたちゆかぬ状況でもとりたててあわてるようすもなく。たんたんと経営や家賃の支援金の申請をネット経由でやった。そのあいだもリモートでほそぼそとたべるだけはなんとかなった。
むしろこんな状況や行動ははじめてだったので、いまの段階で誤解なきように書くと、めずらしい体験だなとふわふわした感覚でやりすごしたかんじ。たまたま追いこまれずに済んだだけかもしれないが。
ちらかること・みだれること
こころもちは安定の範疇からとびだすことはこれまでなかったし、今後もこのままいけそう。ただほんとうにこころをゆさぶる事象にこのところせっしていないだけかもしれない。
身内や身辺をつうじてたまたま心底ゆさぶられることがらにふれずにすんできただけかも。よくわからない、かといって不安はそれほどかんじない。
おわりに
ついこのあいだのこと。ねどこについたころ。
ーこの晩をこせて明日の朝にはこの世のなかがこのままあるだろうかー
とふと思ったがその場でこころはさざめきはしなかった。
ーなるようにしかならないー
とそのままねむりについたし、いつものとおり朝をむかえた。なにごともなく朝食をたべて休日をすごした。
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