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歴史に残るであろう昨今の状況のもとで このところヒトの顔をなかなかおぼえられない


はじめに

 昨今の状況のもとでさまざまな経験をしてきた。かぞえあげるときりがない。なかでも出会うヒトに対する認識と記憶がうまくできない。その原因を考えてみた。

昨今の状況の影響

 あきらかにヒトに出会う機会が減っている。交換した名刺の数とメールアドレス。この3年間はその前の3年間とくらべて圧倒的にすくない。もちろんおたがいに連絡をとりあう手段にちがいがあるだろう。くらべること自体に意味がないかもしれない。副業のしごとも変えた。

それにしてもヒトに出会わないとなんにもはじまらないはず。

やはり昨今の状況の影響の大きさ、ひろがりは想像を絶するものにちがいない。なにしろ世界じゅうで影響の差はあれどほぼ全人類が経験したまれな現象。これほどの歴史上の事象をみつけるのはむずかしい。

ヒトの顔の要素

 マスクすがたではたらくようになり久しい。そこで気づいたのだが以前ならばもうすこしヒトと面とむかって話していたこと。つまり正面で向き合って。

いまはよくて斜交い、ときとしておなじ向きにすこしはなれてすわって。なるべく短時間。必要最小限。面とむかって話す機会がほぼない。

するとなにがおこりはじめたかというと顔をおぼえない。初対面から2回め以降に会っても以前の印象がほぼ残っていない。

わたしには若年の異性の顔がおなじに見えはじめた。はやりの目の化粧や髪型のためかもしれない。NPOの手伝いと研究パートでつとめはじめ、とくに学生さんたちなど若い方々に接する機会が以前よりふえている。それにもかかわらず覚えられない。きっとわたしは失礼なニンゲンだろうなあ。年齢をかさねたせいか。どうやらべつの原因に思いあたる。

おそらくマスクで顔の多くの情報がインプットしきれていないために起こる現象ではないか。ほぼ目と髪部分、あとは背の高さのみ。基本的に顔から下をあまりみることはないので、やはり顔のパーツ情報の不足が大きい。

わたしはデッサンの経験があるので、鼻や口元、ほおやあごなどはその方の個性がでやすいと感じていた。それらの要素が欠落しているのでおぼえられないのかもしれない。

それをおぎなうには

 すこで初対面の方に出会うときにはノートのはしにその方の特徴をなまえとともにひとことメモ書きするようにした。名前をおぼえる際のたすけになりはしないか。

相手の方もおなじかもしれない。マスクごしのコミュニケーションで、おたがいの意思や感情をおしはかるのはこれまで以上に気をつかいそう。

言葉の数はかぎられ、会う時間が制限される。そのなかでしっかりくみ取らないと。これはおたがいさまなんで、微妙な表現の内容をはなすときにはなるべく相手のほうをみつつ、つたわっているか確認しつつ話すようになった。

こうして意識しないと意思の疎通がなかなかはかれないかもしれないと用心している。

おわりに

 昨今の状況で、これまでのヒトとのコミュニケーションのあり方を考えるきっかけができた。これって結局、この状況でなかったとしてもだいじなことだと気づいた。

ヒトに正確につたえるのはけっこうむずかしい。どれぐらいの割合で相手に通じているのか。これは厳密には知りようがない。聞いていただいた相手につたえた内容を話してもらえばいいのだろうが、相手はどう思うだろう。

きりがないのでこのへんでやめるが、しっかり聞いてもらうしかないだろうし、手もちの資料やなんかをよりくふうしてつたえるしかなさそう。マスクごしのコミュニケーションのむずかしさをあらためて思う。

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