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最近はふたケタどうしのすうじならば見たままでぽかりと思いうかべて買いものしていた


はじめに

 受験生をサポートするときはさびたあたまをフル稼働させつつ対応する。先日、隣接3項間漸化式の特性方程式を説明しながらふう~と息をついた。その反動でふだんはあたまをはんぶんも稼働させていない。3割ぐらいか。

筆算すらおぼつかない。ズボラしてスーパーでは買いものをかごに入れながらかなり雑な合計の見積もりをしていると気づいた。

きょうはそんな話。

脳もつかれる

 家族からよくいわれる。「ええと~…」としばらく返答にじかんがかかる。単純なまちがいに気づかない。「脳がつかれてるんじゃない?」と問われる。そうかもしれない。

ねどこにはいるとよくゆめをみているし、なんか寝ているのか起きているのか判別のつかない時間がながい。早朝の暗いうちにはよていの時間よりはやく目がさめる。「きょうもとけいに勝てたぞ。」と意味不明のことばがあたまをついて出る。

1日じゅうあたまのスイッチがはいったまんま。このところの数か月だるさとともにずぅ~とそんな状態。食欲のあるのはさいわい。昨今の状況(基礎疾患もちなのであいかわらず)のままこもる生活にからだが順応したせいか運動不足はいなめない。

これがそもそもの原因とひっこし準備にわざと大まわりして動いたり、1回ですむはずのごみステーションへのゴミ出しをわざわざ2回にわけていったり。

なかなかきょうはからだをよくつかったというここちよさまでもちこめない。

商品を見て

 仕事帰りに買いものをすませる。昨今の状況で密になるこうした場所をメモを片手にてきぱきとうごく。商品を選びながらちいさな文字の税込み価格を目にする。そう見るだけ。そして手元のかごへいれるとき、ふと「あること」を無意識でやっているのに気づいた。おおざっぱな見つもり。3割稼働のあたまではさきほどふれたように筆算はおぼつかないなかで。

商品の多くは3ケタのねだん。ふだんの買いものならば百の位は1~3ぐらい。いきなりケタがあがるほどの値上がりしない。そこで十の位と一の位の数字だけ見ればいい。つまり2ケタだけたしていけばいい。それにあたまをつかっていないのに気づいた。ただたんに「見るだけ」。

ふたケタどうしならば、1の位が6と9ならば5、十の位の数どうしが、たとえば3と8ならばくりあがる1とくりあがりで2をおもいうかべる、というふうに。しめてならべて25のかご内の数字が出てこれだけぽかんとあたまのなかへ。。

同様のことを一品ふえるごとに見てはかごにいれるさいにあたまの数字とおなじことをする。

これで現金で支払っていたころはすぐにぴったりの○25円を準備していた。あたまは使っていない。

ズボラで済ます

 とにかくふだんの買いものの計算であたまをはたらかせるのはめんどう。ほかにつかいたい。そしてちかごろの現金をつかわないようになりつつある状況。

現金にふれない支払い方法がいろいろある。セルフレジがでてきたときにはすかさず使った。店ごとに仕様がすこしずつちがうのはけっこうこれはこれでめんどう。むしろあたまを使いはじめた。これだけ以前はレジ係の方々の手をわずらわせていたのはまちがいない。もっと感謝しないと。

おわりに

 べんりなようで慣れるまではやっぱり脳をそれに対応できるように訓練しないとならない。現金で支払うときにはもたつかないでいいようにしっかり支払いがいくらかあたまを使って計算していた。

それがいつのまにか上にしるしたあたまをつかわない概算になりつつある。これとてさらにクレカ払いならばその場での表示の確認をやらずにうっかり済ませてしまう時も。よくないのだが。

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