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よくよく考えるとわが家の収納スペースに過去何年も使っていないものがあるだけでは


はじめに

 発想をかえるのはなかなかむずかしい。賃貸マンションをさがす際に収納は…とまず意識した。「入らないとたいへんだ。」ばかりあたまに交錯。ようやくみつけてなんとか収まった。1年を過ぎふりかえると、ほぼ開けていない段ボールがそこに収まっている。

中身はもしや必要ないものでは。1年のあいだ一度も必要としてあけなかったわけだから必需品とはいえない。収納スペースや衣装棚は何のため?

きょうはそんな話。

ふりかえり

 1年たつと濃淡がはっきりする。よくつかうものとそうでないもの。あきらかにちがう。鍋、皿、包丁などは毎日、浴室の物品もそう。電化製品の一部もふくめて収納せずおもてにならぶ。ほかは週ごと、月に1度とか使う頻度がちがう。一方、収納スペースの奥にはとりだしにくいのがわざわいし、「ナニ、コレ。」がみつかる。先日もみつけた。引っ越しのどさくさにまぎれ未整理のままお供したとおぼしきもの。

引っ越し時には使うから、ないと困るからで連れて行くとなったはず。それが当人は1年を経てとうに忘れて「こんなものをなぜ。」とひとりごとをいう。はて何のために…。

必要だった

 捨てるべきでなかったものも。処分したあとすぐに必要なことがよくある。「あれはどこへやった。」とさがし、「ああ、捨てたんだった。」と思い出す。たいてい買い直したり、ちがうもので代用したり。

そんな行動はすくないほうがいい、と多めに連れてきてしまう。それがよくない。日ごろの生活を顧みてそんなにモノに執着せず生きられるだろうと結論。なにも声がするわけではないがすでにそうこたえが出ている。

つぎには

 もう1回移り住むかもしれない。収納にあまりこだわらないでいいようにしたい。それにはもう一段の処分を必要とする。なるべく長く住みたいので広範な物件から選びたい。

ズボラなわたしにはよりコンパクトが理想。むしろ活用できない広さや収納に余分な家賃を支払う現実を直視すれば当然そうなる。収納の多い物件がなかなかみつからないのは、それだけ平均よりものもちなんだと思わねば。

くらしに合わせる

 身軽なくらしがここちよいはず。臨機応変に動けるし、モノに執着しなければできることは増えそう。かろうじてできた例は趣味の油絵。建てたもとの家ではほんとうに場所をとっていた。それをおおかたかたづけて引越し先の賃貸にはほぼワイヤレスのタブレット1枚だけ携えた。

いま住む部屋は学習サポートのしごとで生徒たちがおとずれるためすっきりさせたい。なるべく生活雑品を収納して使ったほうがいいと考えた。

そのしごとをやめる意向なのでここに住みつづけなくていい。ひとりには広すぎる。よりコンパクトな住処でいい。避難用品とローリングストックを置くスペースぐらい確保できればいい。

おわりに

 今後を考えるとさらに出費のかからないくらしに見直せないか。車の所持の有無は難しい。両親の送り迎えや、生徒の教材の仕入れなど必要と維持してきた。発想を変えると、これらはレンタカーやサブスクでもよさそうだし、新たなすみかをのこりの職場のちかくにすれば通勤にはいらない。駐車場の確保も必要なくなる。

きのうは1日その点についてしらべた。可能性はじゅうぶんあり。あとはその条件に合う物件をじっくりさがそう。


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