昨今の状況で家にとじこもり色白になりながら世代間の歩みよりについてかんがえた
はじめに
昨今の病の状況がつづきほぼ3年ちかくになる。適応するための生活がふつうになっている。
家のなかにとじこもる生活なので夏をすぎたあとなのにいままでになく色白。極端に陽にあたっていない。この状況前の農業で色黒だったのがうそのよう。陽にあたってできるビタミンはできてないだろうな、きっと。
すこし見なおさないとなと思いはじめた。でもこんどはからだがこの状況に慣れてきて加齢もあり、うごくきもちがわいてこない。皮肉なもの。
この生活は…
昨今の状況は1年目には長くはつづかないだろうとわたしは思っていた。長くて半年、どうかんがえても1年後にはほぼもとにかえるだろうと。ところがそれから2年経ってもつぎつぎつぎと波がおしよせている。
主業になりつつあった農業はあきらめ、もはやこの生活が日常なんだと思いはじめてきた。その一方でこの習慣を維持しさえすれば、かぜやインフルエンザにはかかりにくいわけだし。なにもそれほどのことはないとじぶんを納得させようとしているのかも。
宴会などイヤイヤ参加していた行事がなく気がとがめなくなったし、同時に時代がかわりつつあると思う。
たしかに以前ならばさまざまな本音は参加したくないイベントや行事があった。けっこうたくさん。その多くは状況がつづくなかでいったん見なおされている。いちど距離をおいてみられる。このまま再開しなければいいのにと思えるものが多い。
けっきょくそうしたイベントの多くはなくても支障のないものだった可能性がある。コミュニケーションの推進や交流を促してきた面を否定しない。ただしほかの方法でもヒトとヒトの出会い、交流をうながす方法はありそう。
すくなくともかなりのわりあいのヒトがイヤな思いをしながらやる行事は考えなおしてよいのでは。くふうの余地がありそう。昨今の状況で社会状況の変化をうながすチャンスとすればよさそう。
どうかわるか
慣習的におこなってきたイベントや行事の多くは今回の状況でいったん休止。どうしても必要なもの、だいじなものだけようすをみつつ再開ならばまだいい。やみくもにもとのとおりにやらないとならないマストな行事などそんなに多くなさそう。
もちろん伝統行事や無形文化財などはかたちをかえつつ維持される面はあろうけれど。それでも相応にくふうしつつであってほしい。
すでにわかいヒトビトの行動は以前とはさまざまな点でことなっている。価値観のちがいもありそう。もちろん共通の認識もある。人口構成上、若い方々のわりあいはすくなく今後も先ぼそり。過少な人数でさまざまなところで社会の中核をになっている。
ひとりあたりでみるとさまざまな負担が課され、代替がきかず、いそがしくしわよせをうけがちな世代へとこれからより極端に移っていく。たがいを尊重し多様性を理解しつつ維持したいならば、若い人々のみにたよらず、わたしたちの年代が歩みよりつつうやるとよさそう。
おわりに
世代間のはなしになってしまったが、昨今の状況は世界的にどこでもおなじはず。さまざまなみなおしがこの機会におこなわれているだろう。
はたしてこのクニはいいほうに改善されていくだろうか。けっきょくこのゆさぶりにも対応できないじまいなのか。家にとじこもってばかりでかつてないほど色白になった腕をみつめつつ、そう思った。
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