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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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#note

書こうと思ったことを瞬間で忘れてしまいがちなこと

はじめに しばらく前からなのでしかたがないのかもしれない。それは物忘れ。とくにnoteの題材を思いついたときがいけない。すぐに何かに書きとめないとあっさりわすれてしまう。たいてい半分ほど思い出せない。はがゆい。 きょうはそんな話。 忘れるからこそ どうしてこんなにいろいろおかしなことをしてしまうものなのか。このところとくにふえたわけではないが何日かに一度ほど物忘れにともない起こる。とくにはっきりしているのがnoteの題材。ほぼ日課にするほどなのでとくに「忘れがち」と感じ

ついうっかり500日連続投稿をのがしてしまった日曜日

はじめに なにごとも記録となると意識せざるをえないもの。それがあっさりついえてしまった。けさのこと。なんともわたしらしい。 まあ、気にすることはない。つぎのモチベーションにもなるし。 きょうはそんな話。 連続投稿 いつものようにnoteへ投稿のため数日まえに入力した原稿の内容をひととおり見直したのち投稿する。みどり色の投稿のボタンをおすと見慣れぬ表示。「連続3日間投稿できました…。」と見えた。 「あれっ、どうして3日間なんだろう。490過ぎの数字が出なかったけれど…

SNSへの投稿をいったんやめたのは2022年2月のことだった

(2023.10.30加筆) はじめに さまざまなSNSに投稿するようになって15年あまり。note以外ではブログが圧倒的に多い。X(以前のツイッター)やfacebookはどうも性に合わずほっといたまま。Instagram(インスタグラム)は存在をわすれてしまう。いずれかほぼとぎれることなくつづけてきた。 じつは昨年の2月に意図的に中断した。こんなことをつづけるのが果たしていいのかとふと思い、やめておこうといきなりだった。再開までにけっこう時間がかかった。 きょうはそん

ネット上で波長の合う記事との出会いは海岸でひとつのきれいな石をみつけるのににている

はじめに しばらくまえ、たびで支障がなければ手につつめるほどのちいさな石をひろいあげ、ポケットにしのばせて持ち帰っていた。もちろん持ち出してはならない場所ではない。なんの変哲もない路傍のごくありふれた石。くつのひもをむすびなおすしぐさとともにひょいとつまみあげる。 ふたたびおとずれるのはむずかしいなごり惜しさからの行動かもしれない。こうして各地のちいさな石たちを自宅のつくえのたなにならべる。ちょうどnoteであらたなお気に入りの文をみつけたときとにている。 きょうはそん

ひさびさにみずからのnoteの文をアプリをつかいぬきうちチェックしてみた

(2023.10.2加筆あり) はじめに noteを下書きしてみなおす。手を入れる部分がかぎりなくあらわれる。おかしな表現にもどりつつあるなあ。つたなく読みにくいし。あちらこちらに顔をだしている。なぜわざわざ読みにくいほうへみだれてしまうのか。 きょうはそんな話。 noteに出会って 昨年の10月にいったんとぎれたのをのぞき、毎日ひとつずつnoteに文章をあげる。もはや日課となったのはうれしい。はじめてまもないころは1年もつづければすこしはましにならないかと期待。 1

ふだんのこだわりのない食事づくりにまつわるとりとめのないさまざま・あれこれについて

はじめに  毎日、家族とのふたりぶんの食事づくりを担当。するとさまざまおこる。しごとやなにかで予定変更などざらにある。そしてズボラできまぐれなわたしの性格に由来するあれこれ。 きょうはそんな話 仕事で…  このところ年度末が近づきなにかと気ぜわしい。あっ、確定申告をしあげるのをわすれているとか、メールをしごと先に返しておかなくちゃとか。 昨今の状況が3年あまりつづいて、基本的に家族での食事はべつべつに。朝はつくりおき。わたしが昼間に外出先でしごとのときにはふたりぶん

SF的なショートショートを書いていていま生きているセカイについてふと思う

はじめに  noteをはじめたころに、ほぼ毎日2週間ぐらいショート・ショートを書いていた。どれもPCをひらいて起動させ、その場でおもいついてしるしていた。するとたいていサイエンス・フィクション、つまりSF調になる。やっぱりねっからの理系なんだろうなあ。 現実にたちかえり、いまこうしてすごしているセカイもここ数年でまえいたところから移ってきたとそんなふうに想像してみる。すると「それぞれのセカイを楽しまないと損。」との結論にいたる。 きょうはそんなお話。 おそるおそる

おなじ内容を書きあらわすのでも否定形よりも肯定の表現のほうが澄んだきもちで前むきになれる

はじめに  このところnoteなどに文章をしるすにあたり、なるべくきもちをフラットにしようとしている。こうして第3者的な立ち位置につこうと意図して。読み手の方々にストレスにならないよう。 記す文のかたちにすこし意識をはらうときもちまでちがうと気づいた。 日本語にせっしてきて  すでに半世紀ほど日本語とせっしている。みずからのかんがえをわかりやすく明解にあらわすのはなかなかむずかしい。つらつら書き記したものをすこしおいたのち読みなおし手をいれる。すなおに書けばいいはずが

もうすぐ300記事 noteをつづけてみずからの文章の「くせ」のいくつかに気づいた

はじめに  もうどのくらいになるだろう。毎日のようにキーボードにむかい文章をつくりはじめて。 ことばをあたまからひきだして下書き、1日おいて清書、そして投稿。この手順で、みずからのことばのくせや傾向が見えてきた。他人の文と思えば容赦なくはぶいたり、かえたり。 気づいたいくつかについて。 下書きについて  すこしまえまで紙に下書きして赤ペンで修正、それを見ながらキーボードで入力していた。ほぼ完成した文章を入力する。ただでさえ見ぐるしい書きなぐった文字。それに朱をいれ、