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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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2023年4月の記事一覧

押入れの奥にひそむダンボールのみかん箱の中身から見えてきたものは

はじめに 部屋を大幅にかたづけている。これもあらたな生活をはじめる準備のため。したがってけっこうおもいっきり取捨選択している。8割がた処分する方針ですすめている。 そのため、いちいちしまいこんだ箱のなかみをチェックしないとならない。きょうの作業もおわろうとするころ、出てきたものをついうっかりよみはじめてしまいひかれてしまった。 きょうはそんな話。 おかたづけの時間 きのうは定例の休日。わたしの休日は水曜日。その日にあわせて「やらないと…」と蓄積したままの家しごとをちまち

気温の乱高下にからだのほうがついていけないのを自覚してようすをみていろいろ休養のてだてと栄養をおぎなってみる

はじめに 「春眠暁を覚えず」のはずだった。このところつづいていた夏日をまじえるほどの気温の上昇にようやく慣れつつあるなあと水曜日のあかるいへやのめざめのたびに思っていた。 水曜日が休日なので朝はゆっくりねていられる、はずだった。ところが急転直下気温がさがる。冬のおとずれを知らせるかのような北よりの風とともにさむさが舞いもどる。ふたたびさむさで暁まえに目がさめてしまう。きのうの夕方などは学習サポートの教室に暖房をいれるほど。 からだがついてこない。自重しつつうごかないとつか

四半世紀せわになり傷みのすすんだめがねを替えるタイミングをはかりつつ

はじめに  いまだにじんわりと近視がすすんでいる。とおくだけでなくちかくも見えづらくなってきた。加齢にともなうやむをえない劣化。これにくわえて長年つかいつづけためがねのフレーム、レンズの傷みがすでに限界にたっしている。そろそろ替えどき。 きょうはそんな話。 3つのしごとのあいだ  目がよわい。中学のなかごろからそう。仮性近視とよばれ、そのあと本格的に近視がすすんできた。どうしても本や論文に目をとおす生活なので、いたしかたない。目をいたわることをできていなかったつけ。

昨今の事象をきっかけにこれまでの価値観を見なおしてきもちを整理した

はじめに 彼の病の流行により、世の中全体がさまざまな分野で影響を受けている。 わたしのなかでは流行前にはみずからの「持続可能性」についてはいくぶん漠然としたイメージだった。ところが事態が長びいてくると、こつぜんと具体的な事象としてあらわれてきた。目の前に姿をあらわしたと言っていい。より広範にその「持続」の意味を具体的に考えるきっかけになりつつある。 こうした機会は一生のなかでそれほどあることではないだろう。きのうと1か月前の記事につづいてここで整理してみよう。 彼の病を

パウル・クレーの絵を模写してへやに額装すると日々いろいろと語りかけてくる

はじめに  模写はおもしろい。中学の美術で画家の特徴を実習で知ろうと企図しておこなう。先日も学習サポートにおとずれる生徒たちがやったと話していた。わたしも学生時代以降たびたび、そのときどきで興味の向く画家の絵を画集から選んで模写。 そのせかいにしばらくのあいだひたる。するとその絵のなかに画家が思い入れたものの片鱗がすこしだけ見えてくる。 きょうはそんな話。 画集をかりる  できてまもないちょっとわが家からはなれた公民館図書室。このあたりはこのところ開けて多くのヒトビ

宇宙であらたにみつかる予想だにしないできごとにつぎつぎに出会えるはずの時代なのに

はじめに  根っからの理科少年。そのままおとなになってしまった。このところいちばんわくわくしているできごとは地球外にいるかもしれない生命。一般の方々の面前でこの話題へいきなりふることはなかなかむずかしい。その場の雰囲気にそぐわないことはなはだしい。 でも、つたえたい根源はこちらなんだけど。 きょうはそんな話。 日々おもうこと  このところ世情がさわがしい。地上で侃々諤々。議論するだけならば民主的でのぞましいが、ことはそうは運ばない。 そんないざこざのなかでこのエリ

7年前のみずからのつたない文の内容をボツにせず、いまの時代に照らしてみるとこのクニの混沌がみえてくる

はじめに 2016年に記した文章を見つけた。2021年度からこのクニではじまった新入試。5年後に導入されそうな内容に関して、2016年当時にわたしが書いたもの。 そのころはすでに学習サポートを主宰。学習で困っている児童・生徒の支援。不登校生やさまざまなハンディキャップをかかえたこどもたちを中心にみていた。 7年前をふりかえり、わがクニですすみつつあった計画とわたしが予想したこと、そして7年後のいま、なにがどう変わったか身勝手に批評。各方面の方、内容についてぶしつけな点を

鑑賞だけではもったいない 模写をとおしてその画家のタッチの特徴とともに構図や描く絵にこめられた背景を知れる

はじめに  模写はたのしい。画家の絵にはいずれもその個性がにじみでている。何人かの画家を模写するとそれぞれからあらたな視点をまなびとれる。 きょうはそんな話。 大学のころから  絵をさかんに描いていたころ。ふと同級生の女性から「これ、どう?」と差し出された一冊の画集。 ふと、いわさきちひろの絵に目がとまり、その数日のちにクラスメートの彼女にその話をした。「いいよね。」「うん、たしかに。」おなじ興味のヒトが身近にいるといい。 おぼえてくれていたのだろう。絵にしたしむ

たまりにたまったリサイクルにまわすしかない紙類をecomoへもっていく日々

はじめに  自宅を中心に紙類がたまってきた。 ズボラなわたしにとってごみステーションにもっていくのはなかなかやっかい。そこでフレックスタイムの通勤の途中でecomoのある店に立ち寄る。紙1kgで1ポイント。わずかなようだが意外とあっさりたまり、その店の買い物どきにつかう。いらない紙が晩ごはんの魚に代わる。 きょうはそんな話。 ごくふつうの作業  紙をリサイクルするのはごくふつうのこと。一般の仕分けの「もえるごみ」にきれいな紙やテキスト類をださない。なぜならズボラだか

みずからのなにげない旅のすぐそばにあったはずの運命のちがいとは

はじめに  人間の運命はほんのごくわずかな行動のちがいで変わるものなのか。 過去のみずからのごくありふれた行動を例にとりあげふりかえる。つくづくあまり考えずに動いているなと思う。そこにまちうけていたかもしれないさまざまなリスク。 渡欧の機会を得た。2003年3月から4月にかけての10日間。ちょうど20年前。いまふりかえるとこのあいだにさまざまなできごとのそばにいた。時間が経っているのでここに記してかまわないだろう。 きょうはそんな話。 渡欧の機会  まずは旅に至る

いまのしごとからつぎにすすみたいので家にある資料をあたまのなかとともに処分・整理していく

はじめに  ミニマリストは理想。身軽になりたい。そのために長年つづけてきたしごと関係の資料や道具の整理をはじめた。しごとをしながらなので時間がかかる。 思いいたりはやくも数週間。ようやく道なかばに達しつつある。なかには資料の一部をひきついでくださる方も。たまたまの時期に出会ったので大事に接しなくちゃ。 きょうはそんな話。 大量の資料  やはりこんなにあるかというほどの量。自宅を中心に置いてあった分。それでもこんなにある。書籍、テキスト、手づくり教材の数々、教具。それ

自分から本を読むようになる習慣はどうやってついていくのだろう

はじめに  意識せずとも文字を追う。電車で窓の外をながめていても、ふとダイニングのテーブル上の広告やカタログでも。 こんなふうに文字をもとめるようになったのはどんなきっかけからだろう。 きょうはそんな話。 知ろうとする欲  わたしたちはなぜ顔を洗い、歯をみがくのだろう。毎日そうしないときもちわるいから? そうかもしれない。まさに基本的な生活習慣。なにげなくやっている。ほかにもいろいろありそう。 知らずしらずのうちに身についている習慣。社会的な生活習慣とともにみに

はるかむかしの生命誕生からずっとさきの未来までをかんじられるジョアン・ミロの絵画

はじめに  中学のころだったかな。おそらくいまごろの時季。新学期に配られたばかりのインクのにおいのするまっさらな美術のテキスト。パラパラとめくるとおもしろいさし絵。変わったデザインを描く画家がいるなあとしばらく目がはなれない。 図書室で画集を探しあてる。それ以来、彼の絵にはいまもって惹かれる。興味のつきない画家のひとり。 きょうはそんな話。 絵への興味  世のなかには見たとおりでない絵を描く画家がいる。中学のころにそう思った。新聞の日曜版の大きな画面で毎週ひとりずつ

空模様とともにこころのありかを見せてくれるセガンティーニの絵画

はじめに  はじめて出会ったのは高校生のとき。セガンティーニの描く世界は衝撃だった。生きるときどきに思い起こし彼の絵画はあたまから離れない。初見の絵で彼の絵画かもしれないと気づくことも。おいかけたテーマはいのちとこころのありか。そんな気がする。 きょうはそんな話。 友人と  高校生だった。自宅から遠くはなれた進学校に通うおとなしい生徒。ものおじせずに声をあげていた中学のころよりもこの高校ではまわりのなかで埋没してすごしていた。それでも類は友をよぶ。 芸術で美術を選択