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四半世紀せわになり傷みのすすんだめがねを替えるタイミングをはかりつつ


はじめに

 いまだにじんわりと近視がすすんでいる。とおくだけでなくちかくも見えづらくなってきた。加齢にともなうやむをえない劣化。これにくわえて長年つかいつづけためがねのフレーム、レンズの傷みがすでに限界にたっしている。そろそろ替えどき。

きょうはそんな話。

3つのしごとのあいだ

 目がよわい。中学のなかごろからそう。仮性近視とよばれ、そのあと本格的に近視がすすんできた。どうしても本や論文に目をとおす生活なので、いたしかたない。目をいたわることをできていなかったつけ。

かろうじて郊外のみどりにかこまれているだけましなのかもしれない。それにしても住み家からとおくまで見わたせない。山間の集落。目をやすめるには遠くをながめるといいといわれる。それもなかなかかなわない。散歩に出て山の中腹までたどりつきふりむくとようやく遠くを望める。

昨今の状況で家にこもる生活がつづきさらに目にダメージがきたのはまちがいない。このところ焦点のあう範囲がせまくなったと感じる。生徒たちに教えるテキストをみるたびにめがねをはずすみずからのしぐさに気づいた。無意識のうちにやっている。

どうしよう

 これからは近くも見えづらくなるのは必定。年齢をかさねるとしかたない。それがはっきりあらわれないと比較的高価なものだけにつくりにくい。3年ほどまえに予備のめがねのないのに気づいた。突発的にこわれるととても不便。くるまの運転すらできなくなるし、日常生活にさまざま支障をきたす。

そう思いふだんのじぶんとしてははやいうごき。ただちにめがね店に出向き、店先にあるいちばん簡便なタイプをえらんだ。あくまでも代用品。車の運転優先。近くを見るのは二の次のレンズと一体型のプラスチックフレーム。ふだんのめがねの価格のおよそ6分の1ぐらい。逆にかんがえるとふだんのめがねはそれだけさまざまな用途に合うだけの性能のレンズだったし、フレームもじょうぶ。

緊急用を準備でき、これでひといきつけた。


四半世紀すぎると

 さて、常用するふだんかけているめがね。かなりレンズ、フレームとも傷んでいる。遠視がすすみはじめるとやっかい。あわててつくるとあっさり度が合わなくなりかねない。

一度はこのフレームを温存し、レンズだけ交換した。いまはまだ進行途上かもしれないと思いはじめると、フレームとレンズの両方を一度にあたらしいものをつくりにいこうという気になれない。ほらやっぱりあっさり合わなくなったじゃないかと後悔するのはくやしい。

とはいってもいつこわれるかわからないのがめがね。レンズはすでにコーティングがはがれおちつつある。予備のめがねをつくれたのでとっさの際には代用できるぶん、鼻あてなどをネットで注文して替えるメンテナンスをしつつ、いまのところようすをみている。

おわりに

 万事がこんな調子。これをむすこからたしなめられる。「そろそろ買ったら。」のひとことははたからみて最後通牒。これまでもやむなくそのひとことを受け入れる機会が多い。PC、スマホ、電子レンジ、プリンター、カメラ・・・。耳順とはよくいったもの。すでにこどもたちのほうが世情を知り、空気をよくつかめているのはたしか。

それにひきかえこちらはポンコツ。世情に疎くなっている。それだけ世間にたいしてみっともないレベルにいつのまにやらなっているのだろう。せめてまわりに不快なきもちをわかせぬように、せっかく声をかけてもらえるのだからすなおにしたがい、身なりだけはととのえないと。


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