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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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2023年3月の記事一覧

市販のグラタンをつくってみて塩味の感じかたをチェックしてみた

はじめに   災害備蓄用のローリングストック。日づけのふるくなったものからふだんづかいにしている。きょうは材料を調理してつくれるグラタン。セールでやすかったのでストックしておいた。 携帯コンロさえあればつくれる。災害時でも携帯コンロをつかった調理でできる。ふだんの減塩食の舌のチェックもかねて。 きょうはこんな話。 ストックしていた  いざというときの災害のため、ほぼ1週間ほど食べたられるだけローリングストックしている。とくに水は場所をとるので、期限がちかづくとはやめ

現実とバーチャル画像の区別ができなくなりつつある一方でかんじるものたらなさ

はじめに  きのう、恐竜やニュースの番組(NHK3月26日21時ほか)をネットで見ていてふと思った。実際の自然のようすなのかそれとも人工的につくられた動画なのかわからない。 細密に描写された恐竜たちのうごきにわたしの目はつきあわされて、背景となる風景については目が追いつかない。それでいずれなのか区別できないうちに次の画面へ。いったん気になりだすと本来のすじとは関係なく背景ばかりを気にするじぶんがいる。 番組のさいごに登場していた親子を演じていた役者さんたちはじつは現実で

この1200日のあいだにすすんだこと、そのままだったこと

はじめに  昨今の状況、せかいじゅう例外なくこのなかですごした。ほぼ例外なく。とうぜんわたしもそう。そのための対策やはたらきかた、生活、そのほかもろもろ、影響をうけたこと、そのままのもの。 きょうはそんな話。 ある冬のさなか  2019年の12月だった。ニュースがながれた。おかしな感染症か?これはどうもようすがおかしいとへんな勘のはたらきがちなわたし。 それは某国からはじまった。昨今の状況。冬時期だったので学習サポートのこどもたちや保護者の方々には、クルーズ船のまえ

まだある。最近ようやく気づいた冗長な言いまわしの数々 はぶくと読みやすい文に

はじめに  数日前。みずからの文章のつたなさ・むだについてとりあげた。 さらに出てきた。1年半ほどまえの文章の下書きについてさまざま手なおししつつ、もっとこうしたらという点をあきらかにしてみたい。 きょうはそんな話。 むだな表現、つたなさ  実際の下書きから。やじるしのように書きあらためた。この章を読み飛ばしていただいてかまわない。 あまりの多さに  これだけあると、がくぜんとする。もうほとんどといっていい。アタマのなかのガラクタをそのままひっくりかえしたよう。

世のおおかたの嗜好とは逆のあまのじゃく的味覚・すっぱいもの・種子のあるものをもとめる希少なはずの存在として

はじめに  先日の「はしっこ好き」の記事は好評だった。 その記事に書ききれない内容がある。いかに世のなかの嗜好とずれているか、わたしたち家族が絶滅危惧種でかわった存在たちか知れる。 きょうはそんな話。   あまいよりも  このところ毎日、あまなつとはっさくを口にする。1日に家族とふたりで3つほど消費。わが家のみかん畑に実る果実。文字どおりの自家消費。基本的にこれをこのむご近所さんは数すくない。さすがにさしあげるのはどうかともっぱらじぶんたちで食べる。いやいやたべるの

最近ようやく気づいた冗長な言いまわしの数々 はぶくと読みやすい文になった

はじめに  なんどか自省をこめつつみなおす文章。どれだけ書いてもむだでおかしな部分がみつかる。これらを駆逐するといったいどうなるのか。 きょうはそんな話。 おかしいし、必要ないなあ  このところやみくもに文章を入力すると出るくせ。それは「~しようとしている。たとえば「散歩にカメラを携えようとしながら…」と書いてしまう。 シンプルに「散歩にカメラを携えて…」となおす。ひとつの文に動詞をいくつも入れがち。もっとシンプルにしようと思うのだが…。 「興味をしめすものを身近

パンの耳やさかなのあらを売っているとすかさず目が行き手をのばしておちつく

はじめに  はしっこがすき。こればかりはおさないころより変わりない。写真にうつるのでもたべものでも。なぜかおちつくし、満足できる。 きょうはそんな話。 鮮魚店で  鮮度のいいさかなを売っている店にいく。さしみのおつくりなどはほぼ目がいかない。手が出ないから。たいてい視線の行きつくさきは3枚や5枚におろしたのこり。そう、「あら」。タイでもブリでもおなじ。さしみのはしの切り身がどれだけサービスされているかよりも、どれだけ骨が充実しているかに視線がそそがれる。 その理由は

意識せずなにげなくつかう身のまわりの品々 災害時にそのありがたみを知る

はじめに  わたしたちがなにげなく、それこそ「湯水のごとく」のたとえのようにつかうもの。じつはそれらはかんたんにはみずから用意できないものばかり。 きょうはそんな話。 ここ数年で  昨今の状況はどうやら峠はこえつつあるようだ。わたしたちはだれもが例外なく3年あまりの未曾有の経験をしてさまざま知った。とくに日常の生活をするうえでほんとうに必要なものはなにかと思い知らされた。もうほんとうになにもかも。たとえばマスク。国内ではかんたんには大量には準備できずに周囲の国々にまで

あじわい深く住んでみたくなった もとからくらしていた感じのする松江

はじめに  出会いからして雨だった。でも何度か訪れてここをついの住処の候補にあげようかと思案している。そんな街、松江とそこの象徴のひとつ宍道湖。 きょうはそんな話。 とおい、とにもかくにも遠い  遠国(おんごく)という語感にあこがれる。古代において使われた語だろうが、近畿からみて島根の西半分の石見国や島々の隠岐国はそのひとつ。松江のある出雲国はその東。 ほんの数度、足を運んだにすぎない。首都圏のようにひんぱんに用事があって訪れる場でもない。 わたしのすむ地域(遠国

日ごろのせんたくにまつわるほんのわずかだけ役に立つかもしれない話

はじめに  ついさきほど洗濯した。洗いおわったよと知らせる合図が鳴るとキッチンのあらいものの作業をはなれ、屋外の干し場に洗濯もののはいったカゴをかかえてむかう。 もちろん洗濯ものを干すため。そこで何度目かになる「あること」をたしかめた。 きょうはそんな話。 洗濯をたのしむ? 昨今の状況で主業のぼちぼち感をカバーする目的で副業に出ている。主業だけならば歩いてほんのすこしの職場でよいところを、わざわざよりによって車で往復2時間あまりかかる場所のしごとにむかう。 するとやむ

ふだんに近い食べものが手にはいるか、水が飲める・水が合わないか 旅さきでのこれらのちがい

はじめに  あちらこちらに旅をした。その多くはしごとで、あるいはぶらっと。わたしとて漂泊の思い胸にやまず…の心境になる。そこで気になるのがこれ。旅さきでの体調維持にかかせない。 きょうはそんな話。 家をでると  たいていしごとは国内で。そのかわりに多いときには月に何度も家を出てきょうはこちら、明日はあちらと移動。3か所を10日ほどかけてすごしたことも。これだけ日常でない場所にくりだすと、とうぜんのごとく通いなれた医者にかかれない。ふだん以上にみずからの身の保全につとめ