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わかいヒトへのメッセージ

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小学生から中・高校生むけのよみものです。なにかしらヘンなおとながブツブツ言ってるなで読みすててもらえればと思い書いています。
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#研究

学術論文をつづる作業:ずいぶん棚ざらしのままだったテーマでも日の目をみることがある

はじめに このところ研究パートで論文を書いている。じつはこのテーマ、ずいぶんまえにある部分で躊躇して文字どおりほうっていたもの。おそらくほかのいくつかといっしょにそのまま埋もれてしまうだろうなあと気に留めることなくすごしていた。 先日ふとつづきを書いてみようと手にとる。あくまでもわたしにありがちな気まぐれ。こんな状態で10テーマぐらいそのままに。たまたまひとつを手にとったにすぎない。するとびっくりすることが…。 きょうはそんな話。 ほんとうにたまたま スタッフの先生と

予想どおりのノーベル生理学・医学賞のニュースに接しつつこれからもれんめんと次世代に伝えていきたいこと

はじめに きのうニュースで知った。人工的につくったmRNA(メッセンジャーRNA)をワクチンなどとしてつかう基礎となる手法を開発した方々がノーベル賞を受賞した。 さほどおどろきではなく数日まえに学習サポートのリモート授業で、だれになるかの話が出た際にまっさきになまえがあがったおふたりの学者。この手法をもとにして、世界じゅうをかけめぐった病をおさえるため、製薬会社がごく短期間で製造、ただちに利用されたワクチンはめずらしい。 それに付随して思うこと、次世代につたえていきたい

精密電子天秤のまえにすすみ呼吸をととのえてからくすりをおもむろにはかりとると実験がうまくいく

はじめに しごとのできのよしあし。これはそのときの気分や気のもちように左右される。すくなくともわたしの場合はそう。研究パートのしごとで実験がうまくいかないときは気分一新しようとまずは実験室の掃除から。整理して掃き清める。まるで神社の境内の掃除をするかのようなおももちで。 誤解なきように記すがここはれっきとした科学の研究室。失笑をまねくかもしれないがそこには人知をこえてやはり運をまねく要素が満ちているとかんじることがある。 きょうはそんな話。 しごと場にむかう 夜明けま

研究上の迷い道に出くわすとき 出口はないかと行き来するとき

はじめに  研究でよくありがちな、そしてここからさきにこそおもしろいものがみつかるときがある。学生たちといっしょに歩む道すがら、考えかんがえこっちにすすみ、あっちに寄り道。 きょうはそんな話。 しごとのなかで  たいてい新しいことがらの研究に着手するとき、はじめのうちは先達の方々の方法をたどる。いいかえれば、荒野に踏みこむにしても先に一歩をすすめた方々の足あとをたどりながら。 これが卒論に着手したばかりの学生さんならば、授業や実習、つまり大通りを行き交うところからは

身近な素材のくみあわせを研究の対象にしたとたんにブルーオーシャンのせかいがあらわれてなかなか興味深い

はじめに  最近はものをくっつける、とりはずすということを主眼にして「ある研究」をおこなっている。基本的に生物化学のせかい。とりあつかう物質については秘密保持のため、ここでは具体的には触れられないが自然界にあるごくごく身近なもの。 それだけにふだんの生活のなかでの気づきがとてもたいせつ。 この1年間で10数種類のシーズ  ちょうど研究パートに就いて今月で1年。わが身の采配で研究してよい立場。科学の最先端はもちろん目を通しているが、それをじぶんもとはいかない。ふところ事

先人たちのやったことの結果を振り返る日々 なぜこうしなかったんだろうとか失敗の検証のたいせつさとその意味

はじめに 新しく就いたしごとで、過去にたずさわった人々の実験ノートやレポート類をたんねんにチェックする作業をすすめている。失敗も忠実に記されている。じつはとても多くの気づきがある。 そして当時なぜ上司や先輩は、的確な指示を出さなかったのか、あるいは出せなかったのか。あえて失敗覚悟で身につけさせようとしたのか。いまになっていろいろ思う。のちの時代にあれこれいうのは卑怯かもしれないし、その点についてはお許し願いたい。それを承知のうえでのつぶやき。 過去の失敗の資産 じつはこの

十中八九そう見えても10%の受け入れがたい現象に目をつぶるのはやっぱりよくない

はじめに 昨今の状況下、科学者や専門家が登場して口をひらくと、いくつか「そうだよなあ。」とか「そうかなあ」と思案する自分がいる。わたしは科学を学び、科学者の仕事に就いてきた。 それなりの態度でうごいている。それでもたとえばSFに脳を遊ばせるのは楽しいし、「UFO」や「地球外生命」には興味が尽きない。つまりスイッチを切りかえている。 専門家以外は、その学問領域以外の人はいずれも「一般の人」といえるし、その意味からだれでも一般人の立場になれる。だれもがいずれの立ち位置にもいる