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わたしのすきな自然・いきもの・カメラ・絵

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むかしからひまがあると宇宙を空想して時間をすごす少年でした。ヒューとこがらしの冬にこたつでまどろみながらすごすのが無性にすきでした。その想いは年月を経たいまでも変わらない。その日…
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#油絵

数十年まえに絵に描いた桜の木がいまもまだその公園にあった

(2024.4.8加筆) はじめに 生まれ故郷をはなれて数十年がすぎる。おとずれる機会はほとんどなかった。ところがひょんなことからその痕跡を知る。 きょうはそんな話。 同窓会で 遠くの大学にすすむため生まれ故郷をはなれた。旅立つまえに小学校のクラスの同窓会に参加。場所は小学校の家庭科室。そこで恩師にお礼をいいクラスメートに別れをつげた。 その帰りだったと思う。学校近くの公園にひとりで立ち寄った。級友たちと冬の日に雪合戦をしたり、すみのたいらな場所で三角ベースをしたり。

ヨハネス・フェルメールが17世紀後半にこんなにひかりをかんじられる絵を描いたなんて

はじめに はじめてみたのは中学校の美術のテキストだった。当時はフェルメールの絵に「なにかほかとちがう。」という印象。 西洋の絵画。時代ごとに描きかたのちがいや流行があると気づいたころ。彼とおなじ時代には宗教画や宮廷の貴族のようすをはなやかにえがいたバロック様式の絵がめだつ。それだけに彼の描く絵はどこか異彩をはなつ。 きょうはそんな話。 模写をして ヨハネス・フェルメールの絵にしっかりと興味をしめしたのはそんなに古くない。十数年まえのころ。ようやく美術の歴史を時代ごとに

となりにおいた色とのあいだで相乗作用がうまれることがある

(2023.9.4加筆) はじめに 絵をえがいているとさまさまな気づきがある。絵のせかいだけでなく服の色をえらぶなど生活に身近なところでもおなじかもしれない。かたちをキャンバスの上にうつすデッサンしかり。さらにそののちの色をのせていく段階でもそう。 単色の下がきからはじめていよいよ対象の色をそれぞれの場所においていく。ここがいちばん試行錯誤の連続。ああでもないこうでもないととなりどおうしにこころもち実際より彩度のたかめの色をおいてみる。するとあることに気づく。 きょうは

もしかしたらひきたて役以上かもしれない額縁を見るために美術館にむかうこともある

(2023.8.29加筆あり) はじめに 絵を描いたり見たりでおちつける。たまに時間があると美術館や展覧会場にむかう。もちろん絵を見るのがおもな目的。それ以外に興味をしめすことがある。 きょうはそんな話。 絵とともに 絵を見るのはたのしい。風景や人物、そして身のまわりのものから空想画や抽象画まで。絵の対象はかぎりない。どんなテーマの絵でもとりあえず興味をしめして見るほう。なかにはそのせかいにひきこまれる作品に出会えることも。絵画それぞれのせかいの入り口に立ち、そこからな

ムンクの「叫び」を模写したところさまざまな描法や画材を駆使して表現していると気づいた

はじめに 油絵の模写をこれまでやってきたことは数週間まえに記事にした。さまざまな画家の絵を対象にした。なかでも描いてそれまで以上に関心をつよくした画家が何人かいる。そのひとりがムンク。 代表作といっていい「叫び」を模写。あれこれあらたな気づきがありとてもひきつけられた。 きょうはそんな話。 それまでの絵とのちがい ずいぶんまえの話になる。友人がある画家に興味があるという。その画家はエドヴァルド・ムンク。そして代表作は「叫び」一度でもみるとそのインパクトのつよさに目に焼

キャンバスに描いている絵よりもパレットの上で色どうしがなかばまざりあうようすをうつくしいとかんじる

(2023.8.21加筆あり) はじめに 油絵をながいことたのしみつつ描いてきた。趣味のひとつ。途中いくどか描かない時期があり、描きかけの絵が多い。その多くはとちゅうまですらすら筆がすすんだのにとたんにとまったまま。 どう描きすすめたらいいかわからなくなったり、いそがしくなったりでそのまま乾かして存在をしばらくするとわすれてしまう。そして思い出したように再開。そんないきあたりばったりの時間のなかでもはっと気づくことがある。 きょうはそんな話。 よく描いてたころ 油絵は

以前に油絵で描いた1まいの模写はあらたな住まいのかべにぴったりだった

(8月16日に追加あり) はじめに ひっこしから3日目の夜でようやくひっこし荷物がおさまるべき場所におちついた。いくつかおまけの荷物としてちいさな絵をもちこんだ。 手製の額にいれてしろい壁ぎわに。一歩さがってみつめる。この絵はここにかざるために描いたんだとおもえるほどしっくりくる。 きょうはそんな話。 ようやくおちつく つゆが明けたと思ったら、間髪入れずに台風。雨のようすをうかがいながらのひっこし。収納がどうかなと心配したがどうにかそれぞれの物品がしかるべき場所におち

イギリスの画家コンスタブルのえがく風景のなかに湧き起こる追憶の想い

はじめに この画家にはじめて接したのは学生のころ。地方の図書館にありがちなほのかなふるい本から発する空気のなかで、ページを開いた。 ロマン主義の絵にありがちなどこかとりつくろったようすはかんじられず、ありのままというか素朴。よそよそしさをかんじない。そこにひかれてしばらく彼の絵をさがした時期があった。 きょうはそんな話。 絵をえがく一方で 大学の美術部のとびらをたたいて油絵に接した。もちろんいちばん安価な画材一式のはいったセット品をなけなしのてもちのなかからひねりだした