ヨハネス・フェルメールが17世紀後半にこんなにひかりをかんじられる絵を描いたなんて
はじめに
はじめてみたのは中学校の美術のテキストだった。当時はフェルメールの絵に「なにかほかとちがう。」という印象。
西洋の絵画。時代ごとに描きかたのちがいや流行があると気づいたころ。彼とおなじ時代には宗教画や宮廷の貴族のようすをはなやかにえがいたバロック様式の絵がめだつ。それだけに彼の描く絵はどこか異彩をはなつ。
きょうはそんな話。
模写をして
ヨハネス・フェルメールの絵にしっかりと興味をしめしたのはそんなに古くない。十数年まえのころ。ようやく美術の歴史を時代ごとにひととおり特徴を知れて、ますます絵の世界への興味が深まったころ。デッサンをまなびにちかくの大学の先生の講座に参加した。
モデルさんを毎回お願いしてデッサンをおこなう。土曜日の午前からお昼ごはんと休憩をはさみ、午後3時すぎまで。先生・生徒・モデルさんともどもけっこうな長丁場。大学の授業の2コマ分はゆうにある。
生徒たちは高校生から一般の方まで。なかには高校で美術の先生のかたがいらした。日ごろコンクールに参加するレベルのかたがはんぶん以上。デッサンの基礎をどこかでまなんだ経験者が多い。
初日からいきなりおたがいをクロッキーデッサンするところからはじまった。先生は描いているわたしたちのところへひとりずつまわり木炭で修正してくださる。ときたまアドバイスやくせを指摘。迷いだらけの線ばかりのわたしの弱々しい素描が、先生の確固とした一本の線でみちがえるようにいきいきしてくる。
模写もデッサン?
そんなころひさしぶりに模写に興味がでて、たまたま画集に目が向いたフェルメールの絵を模写しようとおもいいたった。「真珠の耳飾りの少女」とか「青いターバンの少女」などとよばれる彼のもっともよく知られた絵。
3号サイズ(実物はほぼ8号)のベニヤ板に下塗りをしてかわくと、2時間ほどでいっきに描いた。かたわらには家族がいたがあまりにはやくしあがったのでおどろいたほど。デッサンを習った成果かもしれない。
絵の具がほぼかわいた1週間後に2度めの筆入れ。ごく微調整するにすぎなかった。それほどいっきに描いた。図書館で借りた画集なので返却期限がある。のんきにながく描いていられないが、あっさり模写は済んでしまい返却も終えた。額装してゆっくりとながめた。
観察すると
離れて見たり、左から右へと位置をかえたりしてながめる。移動するにつれて絵のなかの彼女の視線を感じる。わりと目がしっかり描けたようす。こどもたちもわたしとおなじように絵をまえにうろちょろする。「うわぁほんとだ。うごいてもずっとこっちを見ているよ。」
まだ生乾きの絵に見いる。ふしぎなコスチューム。かたちも色もかわっているし、なによりターバンを巻いている。白い襟元とその反射でかがやく耳もとの真珠がしっかり絵をひきしめている。その当時の民衆の装束ではないという。なぜこんな衣装をモデルにまとわせたのか。いまとなっては作者にたずねるしかない。
おわりに
よくかんさつするとまゆははっきりしないし、せなかをむこう向きにくびを視線とともにしっかりむけて画家をみつめている。口もとをゆるめた少女の表情はあかるく、わかさをたたえるようすはどこか神秘的。みつめるほどに見入ってしまう。当時活気のあったデルフトの街でどんなくらしをしていたのだろうと想像がふくらむ。
フェルメールの画集のほかの絵では背景をしっかりえがいている。ところがこの絵の背景は漆黒で少女にだけ光があたり、よりつよい印象となる。レンブラントの描いた「夜警」を連想した。見るとわすれない絵のひとつにちがいない。
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