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幼き頃のSM撮影会で学んだ人生ゲーム

唐突に恐縮なのですが、私の父はSM作家の団鬼六です。

SMに市民権を与えた男・団鬼六の波瀾万丈すぎる壮絶人生――『赦す人』https://getnavi.jp/book/465376/

会社員時代、先輩が私のことをクライアントに紹介する際、

必ずつかみでこの話題を入れると効果てきめん、

相手が男性であればほぼ100%私のことを認知していただけました。

女性の場合は反応してくれる方は約40%の確率に下がります。

ただ知っているけど知っているように見せたくない事情もあったと思われ、

その分を加味すると65%に数値は上がります(憶測値)。


鬼六の世に知られた肩書は上記のごとくSM作家でありまして、

本人に会っていない方は

一体いかなる極道、悪魔的文筆家なのかと思われると想像しますが、

私にとってはいたって子煩悩な父でありました。

とはいえ、常人とは違った価値観を絶えず私に提示し

(無意識にあるいは意図的に)、

幼い時には困惑し、青春期には時には反発しました。


小学生になりたてのころ

学校から友達2人を引き連れて自宅に戻ってきたときのこと。

我が家では時々緊縛された女性の撮影会が催されており、

当日も撮影が庭先で行われることを知って友達にはわからぬよう、

そっと裏口から2階の自室に入り込みました。

幼いながらそういう光景を友達に見せてはいけないものなのだ

という気遣いがいちおうあったのだと思います。

ところが部屋に入るなり友達が擦りガラスの窓を開けてしまい、

四肢を大の字に開帳され

縄で逆さに吊るされた女の人の光景が眼下にさらされてしまった。

あ、お姉ちゃんが裸で吊るされてる!

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大声を上げる友達を振り仰ぐ撮影スタッフ、モデルさん、そして親父。

その困惑した表情は今も忘れられません。

ただすごいと思ったのは、

それから撮影は何事もなかったように進行し続けたということです。

僕らもまだそれほど性的なものに興味を持たなかった年齢で、

私も適当に取り繕ってそのあと友達と

「人生ゲーム」で遊びはじめたのですが、

時々外から、ビシっという打擲の音、

モデルさんの「ひいっ」という喜悦の叫びが聞こえてきて、

ゲームに興じる3人の無邪気な子供と対照して、

なんともシュールな空間となりました。

ふつうこの後、

子供に対して何らかの訓戒が通常なら親から施されるはずなのですが、

記憶の限りなにもなかった。

私のほうが自発的に友達を家に連れてこないようにした

という対応をしただけです。



鬼六が他界したのは2011年の東日本大震災の年。

あれから約10年。世の中は大きく変わり、

そして私自身も長く務めてきた会社を退職し、

今一度自分と向き合う時間を持てたいま、

無性にオヤジと会話がしてみたくなっています。

いま生きていたら

まあこの令和の時代に何をぬかすのやら、

と口論をすること間違いないのですが、

鬼六との思い出や書き残した著作を改めて読み返しながら、

今の時代だからこそ伝えたい、

父・鬼六の価値観、美意識などを今後つらつらと

たどってみたいと思います。

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