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多様性賛美の世界に絡まる糸
皆様、あけましておめでとうございます。
さてこの年末年始、映画や海外ドラマなどを観てすごして、
少々感じたことを書きたいと思います。
私は幼いころから官能を生業とする家で
人々の様々な嗜好に触れながら育った人間なので、
性のありようには
おおよその理解を持ち合わせているつもりだったのですが、
いわゆるLGBT・性的マイノリティにも様々なグラデーションがあるのだ
ということは最近学びました。
性の在り方は旧来の男or女という分け方ではもはや測れず、
「法律上の性別」、「自認する性別」、「性的嗜好」、
「社会に対し自身が表現する性」などに分類されるそうで、
また
LGBT以外にも、Xジェンダー(自身の性を男女いずれかに限定しない人)、
Aロマンティック(他者に恋愛的に興味関心を持たない人)、
Aセクシュアル(他者に性的に興味関心を持たない人)、
パンセクシュアル(性的嗜好が性別にとらわれないこと)など
カテゴリーも多様に認知されるようになっているそうです。
<以上「東京レインボープライド(TRP)2022」の記事より参照>
例えば昭和の時代、男の同性愛であれば
いわゆるマッチョ系の『薔薇族』や『サブ』といった雑誌に
ほぼ代表されていましたが、
今はターゲットごとにセグメントされた媒体が
個々にもっと必要になるでしょう。
(もはやそのような雑誌の発行は割に合わないと思けれど)
そういう意味では世に送り出されている商業的官能の世界は、まだまだ
ごく一部の嗜好に偏ったものになっていると言わざるを得ません。
また調査によると性的マイノリティの人々が日本に存在する率は
少なく見積もって5%だそうです。
上記TRP2022の動画で面白い例を挙げていましたが、
日本にいる佐藤、鈴木、高橋、田中さんを名乗る人の総数が
ちょうど日本の人口の約5%にあたるそうで、
彼らに出会う頻度と同じくらいには性的マイノリティが存在する、
または会っているのに気づかない、そうであります。
なるほどそう考えると理解しやすい。
もはやマイノリティと言えるのかどうかとさえ思います。
ただいっぽう、
昨今の一般の映画やドラマなどを観て気になることもあるのです。
特にアメリカ発のものについては
必ずと言っていいくらい性的マイノリティの人々が登場し、
もちろん登場するのはいいけれど、
不必要な場面で、不必要に接吻を交わしたり、
性的行為といたそうとするのです。
どう考えても無理やりにねじ込んだシーンに思えて、
スポンサーから何らかの圧力がかかっているか、
時世におもねったプロパガンダにしか思えなくなったりします。
性的マイノリティとは少し話がずれますが、
登場するいかにも華奢なヒロインが、
屈強な男たちを相手にまわし
極めて暴力的かつ残忍にぶちのめす場面も最近多い。
これは男女平等の今どきの表現の一種なのかもしれないけれど、
さすがにリアリティの面で鼻白んでしまいます。
まあアメリカという国は権利のために活動する人々によって
築き上げられた歴史があるので理解できないではないですが、
性的マイノリティや女性の権利に
これらがプラスに働いているのか甚だ疑問に思ってしまうのです。
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多様性を許容するという言葉は容易だけれど、
どのような道のりを実際にたどるべきなのかはとても難しいですね。
これまで苦しんできた人々に
きちんと光をあてて生きやすくすることは大切です。
ただそれが大きな資本を背景とした思想的圧力となって、
クリエーティブの自由な表現のつや消しになってしまうのであれば
いかがなものかと危惧もします。
そこで改めて思うのですが、
そもそも官能業界は、好む人だけが好むところに堂々と集まれる
マイノリティたちの桃源郷だったはず。
一昔前は全く理解されなかったSMといった用語も
いったんはそこを経由しつつ、
今や女子高生も使う一般用語となりました。
もしかすると
こういった世界から明るくマイノリティのリアルを照らし出していけば、
彼らの解放のまた違った道筋が見えてくるかもしれない、、、
などと妙な意気込みを感じてしまっているこの頃なのです。
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