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娘を泣かせた日

熱い。

日曜の朝、娘の体が揚げたての唐揚げみたいに熱かった。
体温を測るまでもない。

瞬間、
わたしは怒っていた。


今日はお友達の誕生会なのにもう行けないよ。
だからいつも言ってるでしょ。
外から帰ってきたら丁寧に手を洗いなさいって言ってるのに、
いつも適当にちゃっちゃっと洗ってすませるから熱が出るんだよ。
うがいしなさいって言ってもしないし。
夜だってお風呂入ったあとは必ず髪を乾かしなさいって言っても
濡れたままでいるよね?
パジャマだけじゃ風邪をひくから必ずパーカーを着なさいって言っても
絶対着ないでしょ?
だからこういうことになるんだよ。


ばーっとまくしたてて、ふと娘の顔を見ると、
赤く蒸気した頬に、つーっと涙を伝わせていた。

その涙を見て、はっと我に返った。


何よりも今は、熱が出ていることへのケアを優先すべきなのに。
こんなこと今言わなくてもよかったのに。
誕生会に行けなくなって一番悲しいのは娘なのに。
娘だって好きで熱を出したんじゃないのに。


こんなに責めなくちゃいけないこと?


ここ最近、
ちょっと仕事が忙しかった。
前日の土曜日は、娘の買い物やら習い事の付き添いで一日が終わった。
だからこの日曜日こそ、娘がお友達の誕生会へ行っている間に
仕事をしようと決めていた。
月曜日も火曜日も仕事が詰まっている。
納期も迫っているんだから。

だけどこの熱じゃ、月曜日は学校お休み?
もしかしたら火曜日も…。
病院に連れていかなくちゃ。
ああ、切羽詰まってるのにどうしよう。


娘の熱を知り、
まず最初に頭に浮かんだこと。
「仕事ができなくなる」

母親失格。

***********


幸い、私は自分の仕事が好きだ。
やってもやっても飽きない。
子供を授かる前は、日付が変わろうが何だろうが果てしなく仕事をした。
それでも、疲れた、とか、もう嫌だ、とかよりも
楽しいと思う気持ちや充実感のほうが強かった。


だけど
子供を授かってからは
仕事をセーブしてきた。
子を産んだ多くの女性がたどる、もどかしい道。
自由の羽を奪われたかのように感じる日々。


それでも
仕事ができないのはどうしようもないこと
それに不満はない
だってやっと念願の子供が授かったのだから
と自分に何度も言い聞かせながら、
時には夫に爆発しながら、
もっと仕事をしたくてたまらない自分を
ずっとなだめてきた気がする。


いま
娘は小2。
少しずつ手が離れている。

友達と遊ぶ時は親の同伴がいらなくなった。
1人で宿題ができる。
家でも1人遊びができる。
1人でお風呂も入れる。
たまに1人で髪も洗う。
翌日の学校の準備も自分でできる。

だから
子供を授かる前とまったく同じレベルには達していないけど、
仕事の量を少しずつ増やし、
新しい会社とも積極的に取り引きして、
新しい仕事も引き受けて、
新しい世界にも足を踏み入れて、
仕事への貪欲さを少し取り戻しつつある。


そうやって
仕事に没頭していく自分
その過程が楽しくて仕方ない自分
夢中になっている自分
有頂天になっている自分
得意げになっている自分
社会とつながっていることがうれしい自分。


つまり
「自分」でいっぱいの自分。



だけど…


日々の生活を振り返ってみると、
仕事の忙しさを口実に
娘のおしゃべりにも
気のない返事しかしていない自分に気づく。

わたしは
娘とじっくり向き合っているだろうか。
たまには本気で遊んであげているだろうか。
娘の気持ちに寄り添っているだろうか。



「仕事仕事!もっと仕事がしたい!」と先を急ぐ私に、
娘の涙は、
「お母さん、スピード違反!」
「私にはまだお母さんが必要だよ」と
教えてくれたような気がした。