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失敗を怖がっていたわたしがITベンチャー企業に入った話

かほ

「失敗は機会でしかない」「本気の失敗には価値がある」そんなこと言われたって、怖いものは怖い。そう思っていました。
でも今は、「やりたいこと」に挑戦できる世界がキラキラして見えます。

失敗が怖くて、「できるかできないか」でしか物事を判断してこなかったわたしがなぜ、変化の激しいITベンチャーに就職したのか。
結論からいうと、「やりたいかやりたくないか」で物事を判断してみようと思えたからです。

当たり前じゃん!と思う方もいるかもしれませんが、わたしには当たり前ではなかったのです。
これはそんなわたしが変われた理由のお話です。

なんでもできることがアイデンティティだった

小さいころから勉強も運動も人よりちょっとできる方でした。
すごいね、さすがだね、と褒められるのが嬉しくて、それなりの努力をするそれなりのいい子でいました。

でもいつからか、「さすがといわれなきゃいけない」「できる子でいなきゃいけない」と勝手に作り上げたプレッシャーにがんじがらめになって自分の足では動けなくなりました。

褒められるのが嬉しくて頑張っていたはずなのに、いつの間にか周囲からのイメージにとらわれて変化や失敗を恐れ、「できること」だけをするようになってしまったのです。

高校から部活で始めたサッカーでは、失敗をしない堅実性を評価されチームキャプテンに選ばれました。
チーム内では、「勉強もサッカーもなんでもできるキャプテン」でした。
でも本当は「できないことをしていないだけの人間」だとわたしは知っていました。

「キャプテンもしているし、やってみないか?」と誘われた地区選抜を、自分のチーム外でサッカーのうまい人と比べられるのが怖くて、入るのを断ってしまったこともありました。

井の中の蛙大海を知らずというより、井の中の蛙大海を恐れる。
わたしは自分よりすごい人がこの世の中にたくさんいることを知っていました。そして、自分から「できる子」を取ったら何も残らない。と思っていました。だから大海に出て周りに埋もれてしまうことがどうしようもなく怖かったのです。

それでも、人生には避けられない挑戦もあります。
大学受験です。
推薦や身の丈に合った大学を選ぶといった安全な道を選ぶこともできましたが、「兄2人も国立大学に入ったし、わたしも入らなきゃ」という謎の使命感から国立大学の受験に挑戦しました。
先生や後輩からの期待をひしひしと勝手に感じながら挑んだ大学受験。

結果は不合格でした。

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「できる子」へのこだわりを捨てた日

わたしには浪人する覚悟もなかったので、私立大学に進学しました。

大学入学後は、期待に応えられなかったきまりの悪さからサッカー部の同期や顧問の先生とは連絡を取らなくなりました。

それでも、同期はことあるごとにわたしを頼ってくれました。
ずっと参加をしていなかったOG会に引っ張り出してくれました。

3年越しに参加したOG会では、顧問の先生が「こいつはすごいんだよ」と嬉しそうに周りの人に話してくれました。
受験に失敗したのに、ろくに連絡もしていなかったのに、変わらずに褒めてくれることがとても不思議でたまらなく嬉しく感じました。

結局わたしは、周りの人を信頼できていなかったのかもしれません。

周りの人は目に見えない結果も見てくれているのに、わたしだけ試合で〇点とった、〇〇大学に入ったという目に見える部分にこだわっていたようでした。

「期待に応えられなかったからもうおしまいだ」と勝手に決めつけて、こんなに支えてくれる同期や先生との関係を断ち切ろうとしていたと考えると、とても怖くなりました。

大学3年生の冬、もう「できる子」にこだわるのはやめようとようやく決意しました。

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やっと気づいた本当の原動力

大学時代にはもう一つ大きな学びがありました。

大学に入学しサッカーができる環境を失ったわたしは、アルティメットというフリスビーを使ったチームスポーツを始めました。
理由は体験の時点でフリスビーを投げるコツをつかみ、これなら「できる」と思ったからでした。

しかし、アルティメットを始めてすぐに怪我をしてしまい、思うように練習ができない日々が続きました。

どんどん成長していく同期に置いていかれる焦りを必死にサポートに徹することで紛らわせていると、次第にサポート側としての立場も確立され、チームメイトに求められるようになりました。

すると、「復帰」という選択肢は私の中で限りなく色の薄いものになり、周囲にも「サポートするのも向いているみたいだし、もう復帰はしないかな」と話すようになりました。

決してアルティメットが嫌いになったわけではありませんでした。
どうしてもプレーができない怪我をしたわけでもありませんでした。

ただ、復帰して周りとの実力差を感じるのが怖かったのです。
「できる方」だったはずなのに、そうではなくなっている現実が見たくなかったのです。

でも、ある先輩が私の考え方を変えるきっかけをくれました。
その先輩はわたしより大きな怪我をしても、プレーヤーに戻ることをあきらめませんでした。

装具なしでは普通に歩くことさえできない時から復帰を目指し、「最後の大会に間に合うか分からない」「間に合っても、試合に出れるか分からない」という現実を目の前にしても、当たり前のようにリハビリをしていました。

ある日、その先輩に聞かれました。

先輩「プレーしたくないの?」
わたし「そういうわけじゃないんですけど…」
先輩「じゃあなんで復帰しないの?」
  「プレーしたいなら、やってみればいいじゃん」

そういわれて返す言葉のない自分。
「やりたい、やりたくない」で考えたことがなかったことにハッとすると同時に、自分の可能性を自分で否定して何もしていないことが恥ずかしくてたまりませんでした。

「まだ間に合うよ」という先輩の一言に背中を押され、それからは一緒にリハビリに取り組むようになりました。

順調には進まないリハビリ。
やっとチーム練習に入れても改めて感じる、周りとの差。
自分の無力感。

「できない」に向き合う辛さは想像以上でした。でも、「やりたい」という気持ちによる原動力の大きさはもっと想像以上でした。

初めて、周りのプレッシャーに操り人形のように動かされるのではなく、自分の意思で取り組むことの楽しさを感じることができました。
自分の意思はこんなにもわたしを強くするのかと驚きました。

また、最後の試合に間に合った先輩の姿をみて、本当のかっこいいとは「できない」を「できる」に変えることなのではないかと思うようになりました。

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「やってみたい」そう思ったからここにいる

少々長くなりましたが、本題に戻ります。
失敗が怖くてたまらなかったわたしがなぜITベンチャーに入ったのか、それは「やってみたい!」と思ったからです。

「かっこいい大人になりたい」
「お客様の一番を考えることが、会社の一番に繋がる仕事がしたい」
そんなことを考えながらしていた就職活動。
そして出会ったのが、フィードフォースというITベンチャー企業でした。

「働く」を豊かにする。というミッションも、ミッションやバリューを大切にしているところも魅力的で惹かれました。

とはいえ、バリューの一つに「日々混沌、日々進化」を掲げるITベンチャー企業。わたしにできるのかな、できるわけがないよな……そう思っていました。

でも、不安な心の反対側で「やってみたい」が何よりも原動力になることを知っていたし、わたしにとってのかっこいいは、「できないをできるに変えようと挑戦をすること」だと分かっていました。

それに、これまでの経験から「目に見える結果がすべてではない」「挑戦する過程や努力に十分価値がある」と思うことができました。

自分を変えたいなら今かもしれない……
できないかもしれないけど、やってみたい!

この気持ちを大切にしてみようと思い、選考に進みました。

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失敗は怖いけど、怖くない

決意した日から1年半の時が過ぎました。
選考を終え、ご縁あって入社することができてから3か月が経とうとしています。

スポーツしかしてこなかったわたしには分からない言葉だらけの毎日。
自分たちで最適解を見つけるしかない環境。

それでも周りには「働く」をポジティブに捉えている先輩方がいます。
転んでも、ただで立ち上がらなければいいと教えてくれる環境があります。

正直、まだ失敗をすることは怖いです。「できない」は嫌いです。
でも、はやくかっこいい大人になりたいし、自分の人生を自分の意志で走る大人になりたいです。

そして今は、ここでならそうなれるのではないかというわくわくがあります。成長のためにうまくいかないこと(失敗)が避けて通れないなら、「やってみよう!やるしかない!」と思える自分がいます。

今のわたしは、「失敗は怖いけど、怖くない」と思える人間です。失敗が怖くて、挑戦することを避けていたあのころと比べたら既に成長をしていると思えます。

それだけでもう、わたしの中で「やってみたい」を優先した価値は得られました。そしたら後はやるだけです。

これから「失敗なんてないよ」と言える人になれるのか。
長く続く社会人生活、自分の変化を楽しみに頑張っていこうと思います。

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かほ
社会人一年目です。 田舎と猫が好きです。