NEW ME_グランマJILLになりたい
久しぶりのイベント参加
コロナ前にしても、最後のイベントっていつだ?
くらい、遠い記憶。
ところが最近、イベントからのお誘いが多々ありまして、西条市のイベントも、そのひとつ。
愛媛県、西条市。【STONE HUMMER2022】名峰、石鎚山から命名されたこのイベント。ことしで9年目。コロナの影響でこの3年間苦労されたと聞きました。
それだけに久しぶりのイベント開催はスタッフさん皆んな気合いが入っています。
私たちは前乗りで西条市に到着。
リハをして、いろいろスタッフの皆さんからお話を伺いました。
このイベントはイベンターに頼らず、有志の皆さんが作り上げてきたもの。
楽屋内でもたくさんのボランティアの方々が通常のイベンターさん仕切りのイベントに負けないくらい頑張っていました。
出演バンドも世代も様々。
楽屋に挨拶に来て頂いた『LONGMAN』さんは20代かな。輝くばかりの若さ。
不思議な草野球ご縁
そんな、世代もさまざまなこのイベント。
いざ会場入りしたら偶然の結びつきが多々ありまして。
驚きました。
かつて新潟のしょらで(新潟弁で人たちという意味)チームを組んでいた草野球チーム『ラロッカ』の野球仲間4人が西条市に揃うというすごい縁(えにし)
最初はマシンガンズ経由で、久しぶりにお会いしたJJさん。
彼とは厳密に言えば、このイベント前に出会ってすでに驚いていたんですが。
勉さんはこの日が久々。わぁ‼️と驚きながら渡邉くんと3人で嬉しさ爆発で昔話をした矢先….
会場の楽屋に挨拶に来てくれたのが、またまたかつて草野球チーム、ラロッカにいた八木くん。
ROTTENGRAFFTYさんのサポートギターとして会場入りしていたのです。
楽屋は久々の野球メンバー再会で、〇〇とは会ってる?とか〇〇はどーした?とか、話が尽きない感じで盛り上がりましたよ〜
JJさんも八木くんも軽く20年は超えてからの再会。
野球やっている時はおふたりとも若手で八木くんなんて20代だったのかな。
そして、またそのあと、ご縁は続き、京都のバンドROTTENGRAFFTYさんの皆さんとの交流につながりました。
八木くん自身も京都出身。
ROTTENGRAFFTYさんの皆さんも京都。
私は京都、大好き。
今年もプライベートでも遊びに行ったし、PERSONZで念願の京都文化博物館 別館(旧日本銀行京都支店)でネオアコライブもやったわけで。
ROTTENGRAFFTYさんの方々も40代前半の世代。
皆さんと話したらPERSONZを皆さん、ご存知で青春でした!と言われて嬉しい出会いでした。
縁。
不思議ですね。
重ねてまた続くご縁〜
このイベントでは更にSEX MACHINEGUNSさんとの出会いもあり、ボーカルのANCHANGさんとは楽しい会話が弾みました。
そしてマシンガンズの石垣島出身のベーシストSHINGO☆さんは30代。
幅広い世代のコミュニケーションで楽しかった。
他にも氣志團さんの綾小路翔さんとの木更津キャツアイ話やサイドギターの星グランマニエさんも最後にPERSONZ好きなんですと声をかけて頂いてわいわい。
私たちが38年間、PERSONZを続けてきたことで2022年に花開いた『縁』。
私はこれほどPERSONZを誇りに思ったことはありません。
重鎮?いやいや
ですが、
私たちには、全くそんな気はないのだけど、活動年月のおかげで当時PERSONZを聴いたことのある方々からは、当時小学生でした、とか、中学生でした、とか言われることが多くてね。
その頃、私たちはすでに20代中盤から後半だからね。
その頃の年の開きは大きいのでしょう、重鎮と思われがちで、イベントでも声をかけにくいらしく、私たちの方は全然そんな風に先輩風を吹かす気持ちはちっともないので、私たちから声をかけると皆さんホッとしてPERSONZへの熱い気持ちを話してくれるわけです。
嬉しいよね〜
音楽業界を広く見れば年功序列的な形がある場所もあるのかもしれませんが、私たちにはないから。
私たちからみれば若い世代の方々がPERSONZに影響を受けていると言われることが何より。
私たちが歩いて来た道が確かだったと思えるし。
ストハンは男性陣が多くて、出演者の中で女性は私と、ご挨拶に来てくれたLONGMANのSAWA YORIKI(ボーカル・ベース)さわちゃんだけ。
あまりお話は出来なかったけど、ベース弾きながら歌うさわちゃん、かっこよかったです。
今は若い人もダンスブームで、なかなかビートシャキシャキのバンドで女性がいるバンド少なそうだから、新鮮でした。ギターのHIROYAさんとのコンビネーションも良かった。もちドラムのYUKIさんも。
ググったら30歳くらいのバンドさんなんですね。
バンドの継続
バンドってやっぱり長く続けるのは難しい。
時流もあるし、運もある。
あとは本人たちの意志の強さもあるし。
私たちの年になると、その時代、その時代で生まれ続けるミュージシャンをたくさん見てきているけど、数年経つとメインストリームからいなくなることがとても多い。
もちろん年月を超えて活動し続ける方々もいらっしゃいますが、バンドだとやはり解散しちゃうことがきっかけだったり、メーカーから離れることで運営も自らやらなくてはならない時代なので持ち堪えることが出来るか否か。
自力でやるには努力が必要。
販売物が売れない時代だから。
そんな中でPERSONZはどうにか60歳前後のメンバーと、結成から38年経っているわけです。だからと言って悟りを開いているわけもなく、まだまだ努力を重ねないとバンドは続けられないのです。
私、今、思うけど、私や私たちPERSONZは、あとに続くバンドマンのひとたちにとっての道標でいたいし、常にバンドとしては正しいスタンスでいたいと思っています。
正しい…とは。
演奏力。
それに尽きます。
なんて言ったってバンドは演奏をしっかりオリジナリティ満載で出来る力あるのみ!
しかも、ソロではなく、バンドであれば、自分がそのバンドの中で何をすべきかをちゃんとメンバーが理解できていることも大事なことです。
mookiさんとのコラボもご縁なり
このNEW MEをご覧の皆さんはご存じと思いますが、急にスタートした「じゃじゃ馬ボイトレ記録。」
これもね、ご縁なんですよ。
10年来のね。
ボイトレを始めた2012年から、そして2022年、3年間のコロナを経て、久しぶりにmookiさんのレッスンを受けて、思うこと、いっぱいありました。
最初は右も左もわからない私の歌唱スタイルを、より声が出やすく、より表現力を高めるためにと行ってくれるmookiさんのレッスンは新鮮で、私も私の声にちゃんと向き合ってくれる人がいる!という嬉しさに、とにかく昨日の自分より今日、そして明日、未来の自分がもっとよくなるようにと、一生懸命にmookiさんのレッスンを吸収してきたつもりです。
あの2012年からのレッスンがなければ、今の私はいません。
師弟関係ではなく、先生と生徒でもなく、今年の終わりから、ふたりでやりたいことも合致したし、コロナを体験して、声を意識することってとても大切と思う今日この頃なので、きっと新しいコンテンツは皆様が喜んでくれると信じています。
その新しいコンテンツに行く前に、私のボイトレ記録を見て頂けると、私とmookiさんが「声」に向き合うということが少し理解して頂けるかとスタートしました。
12/25のキックオフになるYouTube配信ではふたりで歌も歌います。
この日の配信を見て頂ければ、私がやってきたボイトレとは全く違うので、よりこれからの私とmookiさんのワークアウトがどんなものなのかを知って頂けると思います。
今からふたりでワークアウトの内容をいろいろ考えています。
クリスマスの夜、皆さんがハッピーに微笑んで貰える時間にしたいので、是非、ご視聴、宜しくお願い致します〜
2022年は振り返れば「縁」続きの年でした….
1990年の「PRECIOUS?」時代
そして、今、このnoteで、mookiじゃじゃ馬も書き進めながら、自叙伝も書いております。三足のわらじ状態。
次回の自叙伝は、1990年の「PRECIOUS?」時代。
書くときはほとんど3つ同時に書き進めているんだけど、やはり1990年の20代、30代の私たちはやはり若い。
もう、あの時の自分たちは別人だなぁ。
久々に1990年を思い出すために1年を追いかけたドキュメント映像「MOMENTS」を見て思いました。
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