自己肯定感はさておき、「自己存在肯定感」が1000倍大事。

私は便宜上「自己肯定感の学校」という名前でお仕事をさせてもらっていますが
実は、この「自己肯定感」という言葉に、非常に困っています。

1つ目の理由は、「自己肯定感」という言葉が、
自尊感情やら自己効力感やら自己存在重要感やら、、その他諸々
いろんな概念を含みすぎていて、もう、収拾つかなくなっているから。

この仕事をしていると良くわかるのですが、
「自己肯定感」という言葉を通してイメージするものが
人によって全く違うものになっていると言う現象が起こっています。

例えば、「リンゴ」と聞いたときに「青リンゴ」をイメージする人もいれば
「赤いリンゴ」をイメージする人もいる、なんてズレではなく
「バナナ」をイメージする人もいる、くらいのズレです。

もう1つ例を挙げるならば
外国人が「Japan」と聞いたときに「京都」をイメージする人もいれば「北海道」をイメージする人もいる。「渋谷」をイメージする人もいる。くらいの違い。

つまり、「自己肯定感」という言葉はもはや
「果物」とか「日本」とか、それくらい大きい括りの言葉に
なってしまっているんです。

それの何が良くないか?ということで理由2つ目。

”ポジティブ志向”とセットなニュアンスが
最も市民権を得て世に広まってしまったから。

特に、心理の知識がない=「自己肯定感」がより必要な層に
このニュアンスで広まってしまった。
(反対に言うと、心理職の人で、
このニュアンスで「自己肯定感」を捉えている人は少ないはず。)

ポジティブはポジティブで大事だが
ネガティブはネガティブで大事だし
もっというと、
ネガティブな感情には大事な情報がたくさん詰まっているから
ネガティブの中からその情報を見つけ出すことがとっても重要なんです。

「自己肯定感」と「ポジティブ」が
半ばセットになってしまったのは

「果物は冷蔵庫へ」みたいな考え方に近いと思っていて

冷蔵庫に入れた方が良い果物もあれば
冷蔵庫に入れない方が良い果物もあるし、
冷蔵庫に入れない方が良い果物も、
食べる前に冷やした方が美味しかったり
痛みそうになったときには冷蔵庫に入れた方が良かったり。

自己肯定感が高いからポジティブなわけではないし
ポジティブでいれば自己肯定感が高まるものでもない。
ポジティブな人が自己肯定感が高い人でもない。

こうして、「自己肯定感を高めたい」人が
心理学・スピリチュアル・自己啓発などのジャンルの断片的な情報の中で
グルグルしてしまうことになる。

「果物」は冷やした方がいいのか、冷やさない方がいいのか?
その「果物」の実態が何なのか分からぬまま、調べているかのように・・。

一方で、「自己肯定感」というワードがここまで広まったのは

「もっと幸せに生きたい」(子どもに幸せになってほしい)
「もっと楽しく生きたい」(子どもに楽しく生きてほしい)
「今の苦しさから抜け出したい」(子どもに苦しい人生を歩ませたくない)

そんな想いが漠然とあったからだと思っている。

「自己肯定感」という言葉が意味するものはかなり広いものになってしまったが
「自己肯定感が欲しい理由」は、ほぼみんな同じということ。

そして、そのキーは、「自己存在肯定感」にあると思っています。

「自分で自分を肯定できる力」ではなく
「自分で自分の"存在そのもの"を肯定できる力」

似ているようですが、違います。

一旦、違いはさておき、
この際、「自己肯定感」でも「自己存在肯定感」でも
どっちでも良いですが、
「それがなんなのか・・・?」

ここを理解することがまずはとっても重要ですし
わかってしまえば驚くほどシンプルで、
ここがわかれば、高める方法も理解できます^^

「自己(存在)肯定感」とは結局なんなのか?しっかり理解したい!
と言う方は、ぜひinstagramもご覧ください♪

最後まで読んでいただきありがとうございました♡


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