遠慮せずに溺れる。
幸せな日だった。
夫にねだっていたマッサージに行く予定の日に、急遽お願いしたお花が届き、注文していた新しいノートが届いた。
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夫は家でも仕事をするので、忙しくなると子ども達の世話や家事が私にのしかかってくる。注文をたくさん貰えるのはありがたいけど、しんどいのはしんどい。
夫もすまなさそうにしていたので、「マッサージに行かせて貰えたら私もイライラせずに頑張れるよ!」と言っておいた。
「おぉ、出したるで。」という返事が返ってきたので、数日かけてサロンを探してメニューを選ぶ。
その最中に夫に悪いような、遠慮のような気持ちがよぎる。一番安いメニューにしようかと考えたけど、そこは頑張った。
何を頑張ったかって、自分の心に忠実にあること。夫にちゃんと自分の希望を伝えること。遠慮するのは夫に失礼だ。
予約を済ませた後に値段を聞かれたので伝えると、まじか!!と驚いていたけどちゃんとお金を渡してくれた。嬉しかった。
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お花は隣町の花屋さんが配達してくれる。すこぶるセンスが良いし植物への愛を感じる。花だけでなくグリーンを多めに入れてくれるのも好みだ。
緊急事態宣言の間、お家で過ごす時間を楽しんでほしいというお気持ちで配達料込みで2,200円で花束を届けてくれる。最高過ぎて言葉がない。
家にいるまま素敵なお花を手にできるなんて幸せ過ぎる。花束の状態が可愛すぎるのでバラしてしまうのがもったいない。1日はその束ねられた様子を目で楽しむ。
次の日からはさすがにバラして水切りをし、自分であれこれ組み合わせてみる。この時間もまた最高だ。バランスや彩りを考えて無心になる。枝にハサミを入れるのにも自分の決断が必要だ。切ってしまうと元には戻らない。
夢中になると瞑想状態になる。
家のあちこちに花があるのは幸せだ。
花を置く空間は綺麗にしたくなる。あまり片付いていない我が家もお花の舞台とすべく、整える場所が増える。
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ノートはハードカバーが欲しくて探していた。悩みに悩んだあげく、ライトグリーンの表紙の物を選んだ。私のノート購入歴史上最高額だ。
ノートは無地に限る。デザインが良いのに無地バージョンがなくて買うに至らなかった商品がたくさんあった。罫線やドットも邪魔に感じる。私を枠にはめてくれるなよと思ってしまう。
色は新たなスタート的なイメージで選んだ。若葉の色だ。我が家の目の前の桜の木にももう柔らかい葉が顔を出している。
時間をかけて選んだノートが届くのをワクワクして待っていた。
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そんな3つの幸せが同じ日に訪れてしまったので、本当に本当に最高&最幸だったのだ。
午前中のうちにお花が届き、マッサージへ行く直前にノートが届いた。うわぁとテンションが上がった。なんて良き日なんだ!!と感激した。
冷静に考えてみるとノートとお花は自分で買った物だし、マッサージも自分で夫にお願いした。それなのに思わぬプレゼントを貰えたような嬉しさがあった。自分で自分を喜ばすことが出来るのは、何だかすごく嬉しい。そして単純な自分が可愛らしいなとも思った。
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マッサージで体もほぐしてもらい、すっかり心は満たされた。夫への感謝の気持ちもみなぎっている。
ここで、「こんなに良い思いしたんだから、家に帰ったら家事頑張らなきゃ!!」となるのはシュフあるあるだけど、罠だと感じる。
そこもちゃんと自分の思いをよくよく聞きたい。本当に料理したいのか、掃除したいのか。罪悪感からしようとしているのではないか。
幸せを感じたらその分何かを頑張らなければいけないとか、貰った分は返さなきゃ!!だと純粋な幸せは色褪せてくる。
まるで自分には幸せになる資格はないですよと言っているみたいだ。
幸せであるのが当たり前だったらどうだろう??
例えば、ひまわりは黄色いとかそれぐらいの当たり前の事だったら。
ひまわりが黄色いから、いつもより頑張らなきゃ!とか、何か返さなきゃ!とか、ならないはずだ。
感謝とお返しはセットじゃなくても良い。
受け取ること自体がお返しになるのだから、思う存分受け取ろう。
友人が入っている主婦コミュニティのテーマが、「今が幸せなら、もっと幸せになっていい」と聞いて、これかー!!と撃ち抜かれた。
次々と訪れる幸福や快楽に身を委ねてしまっても良い。
幸せに溺れることを自分に許してしまおう。
思う存分、足の先から頭のてっぺんまで、ズブズブに浸ってしまおう。
女性はそれで良いのだと思う。
どんどん幸せになって、どんどん気持ち良くなってしまおう。
そして、たくさんの幸せの種子をタンポポみたいに全方位に撒き散らしていこう。
思わず遠慮しそうになった幸せな日に感じたこととして、覚え書き。
読んでくれてありがとう♡ 燃え尽きて死ぬまでの燃費代にします🙏